こんにちは。
退院したから、はいそうですかと寝てられる性格もなく、入院によって伸びに伸びた息子たちの髪の毛カットからPTAにおいて幅広く、世の中ってのには、仕事があるようです。せっせと、こなしております。随分、髪の毛カットも上手になりました。ひょっとして、QBに勤めても食っていけるんじゃないかと(苦笑)。
さて、私は、大変なる親馬鹿です。息子がかわいいのはそりゃそうなんですが、学校行事などを見ていまして、色々と現実面で多方向に沢山の方々からお話を伺います。面白くて勉強になるので、どんどん進んでしまい、地域の中学校の事まで詳しくなりました。
人が親としてあるべき姿には、ある程度話は出来るのですが、それでもやはり自分の経験がものを言う所は大きいかと思います。
で、今までは我が家は、小遣い等息子に与えた事はありませんでした。子供がお金を管理する・・・という経験が、幼い頃はなく、与えられればあっただけ使い果たしてしまう性格だった故、あまり任された事はありませんでした。ですが、ここにきて、息子が小学生になるとイベントが多いんですね。で、イベントで使うお金が半端じゃなくなってきたんです。これは・・まずいなと思いましたよ。
湯水のようにねだられるがままに、使い倒す主人を見て、息子も言うんですね。
「なんか買って。買ってくれなきゃ、行かないよ。」と。
流石にこれは、ヘタレ母さん、家族間で通用する通貨は「ありがとう」「ごめんなさい」だよと申してきましたが、主人はまず言いませんので、具合を悪くしてしばらくするうちに、随分尊大な息子らが出来上がったんですね。
買って、買って。買わなきゃやだとか。
ヘタレ母さん、策に出ましたよ。
キッザニアって所がありましてね。そこでは子供が自分で働いて、お金を得て、そして自分がお客になるんですね。この遊び場が、尊大な息子らを料理してくれると思いましてね、息子らを夏に行かせまして、そこで通用する通貨の大事さを教えたんですね。
で、次には、お祭りがあちこちであるので、湯水のように使うのではなく、自分で考えて、与えられたお金を、あるだけを使っちゃうのか、それとも次に貯めて、もっといいものを買うのか。それを自分で考えさせたんです。
まぁ、毎月のお小遣いってものはないんですが、ちょくちょく親戚や何かが来て、「ほれ、坊主、後でお母さんから貰いな」ってお金を置いて行くんですね。(流石に、母さん、ねこばば出来なくなりまして滝汗)。それを、今までは、銀行の口座に入れておいたんですね。ですが、めんどくさいので、それを本人の持つお財布にいれて管理させたんです。
意外だったのは、元々算数に強い上の息子が、あっという間に、100の位の計算から1000の位の計算まで進んだって事ですか(笑)。どの道、1000超えた蓄財は、自動的に母さんが、銀行に入れてくるので、本人たちは1000円の中でやりくりなんですね。
もはや、お祭りに行っても、無駄に買おうとしない。もはや、何処に行っても、買ってとも言わない。我が息子ながら、悋気な男になっちゃいましたよ(笑)。ですが、買ってもらうという、人から「気分次第で与えられる」受動態の楽しみではなく、能動的な、「使う」楽しみ、「貯めて次を夢想する」楽しみを覚えたんですね。
さて、勉学は、机の上に座るだけが勉学ではありません。最終学問は、日常生活の中を解き明かしていくのですから、机の上に座る学問だけに集中して、競走馬のように視界を遮られるのも、テストは伸びはするんですが、自立の年には、現実生活に応用が効かない人間になりがちです。いつも、現実を見て、今やっていることがどう、疑問となるのか、どうそれを解決つけるのか、それが大事だと思っています。
私は随分、机の上に座らされたんですが、しかしながら私の好奇心と結びついた学問は、やはり私は何年経っても忘れませんし、応用も効きます。ですから、まぁ、朋さんのとこは、別格だからとよく言われるのですが、実はそんなに別格でもない息子たちだと思っています。他の子の方がよく見えるのは、いつもお互いさまです。私も、他人のご家庭の息子は、かっこよく見えるし、頭良くていいなとちゃんと思いますし、比べて我が息子の非力さとか、ええかっこしいに、非常に失望するのも、よくある事です。
中学受験も高校受験も、大学受験も、集中力がものを言いますが、「集中力=そのものに対する興味」だと思うんです。
私も集中力は長く、精神力もあるつもりでいますが、どうもお寺で念仏旅行とか言いますと、途端失速して、「本が読みたいなー」とか「まだ、御飯の時間じゃないの?」という煩悩(苦笑)に取り憑かれやすいもんです。
しかし、その勉強しているものが、面白かった時、寝食を忘れ、心臓の鼓動を打つ事すら忘れて没頭しているのも事実ですし、面白いと言う事は、興味が湧くと言う事で、これが、集中力の原動力となります。
自分が嫌々ながらやる事がある人は、それに対し興味がもてないんだと言う事にはなります。ですが、物事、興味ある事だけでは、成り立たないのが世の中です。算数が嫌いでも、レジが発達し、お金が勝手に飛び出て来ても、
「その飛び出てきたお金が本当に正しいかどうか。」
それを見極めるのは、自分自身の頭で、素早く考えなくてはなりません。そして、それが間違っていた場合、安心して見過ごすという事は、ダイレクトに釣りをもらった自分の財布に響きます。ですから、このような事は、皆さん、ちゃんと行っていると思います。ですが、小さな事には出来ても、大きなことに目が行かない人もその反対もおります。
ですから、全てに疑ってかかるのは、実は自分から興味を引き出すいいスパイスなのです。科学は万能じゃありません。コンピューターは間違いも起こします。ですから、余計に、管理する人間がしっかりし、そして、人間同士の軋轢も、きちんと疑ってかかり、大きな目で、「今、この人は不満を言っている、時間が無いからそれが嫌だ」「はじめから虫が好かない」「不満大嫌い」ではなく、どういう背景にこの人が今ここで愚痴を述べたくなったのか、洞察するのも、非常に面白い事です。このように見ると、割と冷静になれます。
非常にこのように見ると、人って愛おしい温かい存在です。私よりうんと年上でも、母位の年代でも、割と我儘も申します。ですが、ここが譲れないの!って所を聞きほぐしてみると、案外、人間と言うのは、血の通った心ある物体なんだと思えると思います。
さて、息子ですが、現在上の息子は、自分で作った貯金箱にお金をしまい、毎晩勘定しているのですが、これを下の息子が失敬したとしたら、凄い戦いです。下の息子はまだ、そこまでの概念が分からないんですね。そんなんで、主人の母が、貯金箱を買ってきたら、それは「数えられなくなるから、嫌だ」と(涙)。
教育は、どこで間違うんだか、狂うんだか、全く分かりませんね(号泣)。
ヘタレ母さんの修行の旅は、遠い蓬莱の彼方へ、進路も分からず進んでおります。
朋
退院したから、はいそうですかと寝てられる性格もなく、入院によって伸びに伸びた息子たちの髪の毛カットからPTAにおいて幅広く、世の中ってのには、仕事があるようです。せっせと、こなしております。随分、髪の毛カットも上手になりました。ひょっとして、QBに勤めても食っていけるんじゃないかと(苦笑)。
さて、私は、大変なる親馬鹿です。息子がかわいいのはそりゃそうなんですが、学校行事などを見ていまして、色々と現実面で多方向に沢山の方々からお話を伺います。面白くて勉強になるので、どんどん進んでしまい、地域の中学校の事まで詳しくなりました。
人が親としてあるべき姿には、ある程度話は出来るのですが、それでもやはり自分の経験がものを言う所は大きいかと思います。
で、今までは我が家は、小遣い等息子に与えた事はありませんでした。子供がお金を管理する・・・という経験が、幼い頃はなく、与えられればあっただけ使い果たしてしまう性格だった故、あまり任された事はありませんでした。ですが、ここにきて、息子が小学生になるとイベントが多いんですね。で、イベントで使うお金が半端じゃなくなってきたんです。これは・・まずいなと思いましたよ。
湯水のようにねだられるがままに、使い倒す主人を見て、息子も言うんですね。
「なんか買って。買ってくれなきゃ、行かないよ。」と。
流石にこれは、ヘタレ母さん、家族間で通用する通貨は「ありがとう」「ごめんなさい」だよと申してきましたが、主人はまず言いませんので、具合を悪くしてしばらくするうちに、随分尊大な息子らが出来上がったんですね。
買って、買って。買わなきゃやだとか。
ヘタレ母さん、策に出ましたよ。
キッザニアって所がありましてね。そこでは子供が自分で働いて、お金を得て、そして自分がお客になるんですね。この遊び場が、尊大な息子らを料理してくれると思いましてね、息子らを夏に行かせまして、そこで通用する通貨の大事さを教えたんですね。
で、次には、お祭りがあちこちであるので、湯水のように使うのではなく、自分で考えて、与えられたお金を、あるだけを使っちゃうのか、それとも次に貯めて、もっといいものを買うのか。それを自分で考えさせたんです。
まぁ、毎月のお小遣いってものはないんですが、ちょくちょく親戚や何かが来て、「ほれ、坊主、後でお母さんから貰いな」ってお金を置いて行くんですね。(流石に、母さん、ねこばば出来なくなりまして滝汗)。それを、今までは、銀行の口座に入れておいたんですね。ですが、めんどくさいので、それを本人の持つお財布にいれて管理させたんです。
意外だったのは、元々算数に強い上の息子が、あっという間に、100の位の計算から1000の位の計算まで進んだって事ですか(笑)。どの道、1000超えた蓄財は、自動的に母さんが、銀行に入れてくるので、本人たちは1000円の中でやりくりなんですね。
もはや、お祭りに行っても、無駄に買おうとしない。もはや、何処に行っても、買ってとも言わない。我が息子ながら、悋気な男になっちゃいましたよ(笑)。ですが、買ってもらうという、人から「気分次第で与えられる」受動態の楽しみではなく、能動的な、「使う」楽しみ、「貯めて次を夢想する」楽しみを覚えたんですね。
さて、勉学は、机の上に座るだけが勉学ではありません。最終学問は、日常生活の中を解き明かしていくのですから、机の上に座る学問だけに集中して、競走馬のように視界を遮られるのも、テストは伸びはするんですが、自立の年には、現実生活に応用が効かない人間になりがちです。いつも、現実を見て、今やっていることがどう、疑問となるのか、どうそれを解決つけるのか、それが大事だと思っています。
私は随分、机の上に座らされたんですが、しかしながら私の好奇心と結びついた学問は、やはり私は何年経っても忘れませんし、応用も効きます。ですから、まぁ、朋さんのとこは、別格だからとよく言われるのですが、実はそんなに別格でもない息子たちだと思っています。他の子の方がよく見えるのは、いつもお互いさまです。私も、他人のご家庭の息子は、かっこよく見えるし、頭良くていいなとちゃんと思いますし、比べて我が息子の非力さとか、ええかっこしいに、非常に失望するのも、よくある事です。
中学受験も高校受験も、大学受験も、集中力がものを言いますが、「集中力=そのものに対する興味」だと思うんです。
私も集中力は長く、精神力もあるつもりでいますが、どうもお寺で念仏旅行とか言いますと、途端失速して、「本が読みたいなー」とか「まだ、御飯の時間じゃないの?」という煩悩(苦笑)に取り憑かれやすいもんです。
しかし、その勉強しているものが、面白かった時、寝食を忘れ、心臓の鼓動を打つ事すら忘れて没頭しているのも事実ですし、面白いと言う事は、興味が湧くと言う事で、これが、集中力の原動力となります。
自分が嫌々ながらやる事がある人は、それに対し興味がもてないんだと言う事にはなります。ですが、物事、興味ある事だけでは、成り立たないのが世の中です。算数が嫌いでも、レジが発達し、お金が勝手に飛び出て来ても、
「その飛び出てきたお金が本当に正しいかどうか。」
それを見極めるのは、自分自身の頭で、素早く考えなくてはなりません。そして、それが間違っていた場合、安心して見過ごすという事は、ダイレクトに釣りをもらった自分の財布に響きます。ですから、このような事は、皆さん、ちゃんと行っていると思います。ですが、小さな事には出来ても、大きなことに目が行かない人もその反対もおります。
ですから、全てに疑ってかかるのは、実は自分から興味を引き出すいいスパイスなのです。科学は万能じゃありません。コンピューターは間違いも起こします。ですから、余計に、管理する人間がしっかりし、そして、人間同士の軋轢も、きちんと疑ってかかり、大きな目で、「今、この人は不満を言っている、時間が無いからそれが嫌だ」「はじめから虫が好かない」「不満大嫌い」ではなく、どういう背景にこの人が今ここで愚痴を述べたくなったのか、洞察するのも、非常に面白い事です。このように見ると、割と冷静になれます。
非常にこのように見ると、人って愛おしい温かい存在です。私よりうんと年上でも、母位の年代でも、割と我儘も申します。ですが、ここが譲れないの!って所を聞きほぐしてみると、案外、人間と言うのは、血の通った心ある物体なんだと思えると思います。
さて、息子ですが、現在上の息子は、自分で作った貯金箱にお金をしまい、毎晩勘定しているのですが、これを下の息子が失敬したとしたら、凄い戦いです。下の息子はまだ、そこまでの概念が分からないんですね。そんなんで、主人の母が、貯金箱を買ってきたら、それは「数えられなくなるから、嫌だ」と(涙)。
教育は、どこで間違うんだか、狂うんだか、全く分かりませんね(号泣)。
ヘタレ母さんの修行の旅は、遠い蓬莱の彼方へ、進路も分からず進んでおります。
朋
