「北極星を目指して」 (左脳のひらめき)

I'm your polar star in the journey of life.

カテゴリ:白銀の波 (直感・予知・夢) > 直感

直感力 (PHP新書)
羽生 善治
PHP研究所
2012-10-16

こんにちは。

直感にて、大きな災害や大きな事故を回避した等、色々な事象があなたに起きたとします。あなたの心理状態は、尋常ではなく、心が大きく騒ぎだします。
似たような状況が起きるたびに、あなたの心理は、強迫概念に近くなってきます。
こんな夢を見たから、こんなことしなくちゃ、あんな信号を見たから、あんなことをしなくちゃ。そう思うと、あなたの心は焦燥感で一杯になり、何をしていいかわからないけれど、取り急ぎ、騒ぎたい・不安な心理を誰かに吐露したい思いで一杯になると思います。

わたしは、かつて、直感にて主人の命を救ったことや、家を購入したこと、他には、自身が死ぬことがあると分かっていながら、向かった手術などがありました。自分が仮死状態になって、あれ程のPTSDを心に負うと分かっていながら、何を考えてその手術に向かったのかと考えると、わたしは恐らく、状況を甘く見ていたのだと思います。
また、甘く見ていたことを、実際に障害として残るほどの事故に繋がり、自身はその後、手伝ってくれた姑と主人に、大変に苛められることが続きました。どんどん悪いことが重なっていき、そこでわたしは霊能者を訪ねました。

霊能者は、色々なアドバイスや、お札などを書いてくれる人もいれば、ひとしきり拝んで、これで大丈夫だと言い切る人もいました。
けれど、現実は何一つ変わらず、わたしは結果的に、冷静に物事を分析し、色々なところから色々なモノを計りだすまでに、沢山のお金を費やしました。

直感の怖いところは、結局直感の当たり方が、他人を救ったことであれば、それ程メンタルを病まないのですが、直感の当たり方が自分に向いて、自分はそれを甘く見ていたとしたら、当たった後に、不安感を招き、大変に辛い思いをします。直感は、色々な種類がありますが、特に辛いのは、身内を失うこと、自身が大変な目に遭うことが、なんとなくでも分かったからこそ、あの日の直感を無視した自分に、弁護士を立てたいと考えるのです。

右脳では、大地震になんとなく気づき、周囲に馬鹿にされても「沢山買いだめした主婦」の例が載っています。彼女はその後、ほんの少しの余震でも、情緒不安になり、焦燥感にさいなまれ、その度に「風呂に沢山水を溜める」癖ができました。
幾ら、こちらが大丈夫だと告げても、その方は納得することはなく、自身の見た夢がドンドン不安を重ねていく中で、夢の意味を知りたくて、病的なほど、尋ねる生活が続きました。
同様に、パニック以上になった主婦もいました。それ以上に情緒不安定だと、やはり病院へ行っていただきたいので、わたしはそこまではフォローできない旨を伝えました。

人間は誰しもが、大きな何かが接近した際には、生理的な危機感を得ます。
それが、実際に起これば、起こったことでメンタルを病み、起こった後は、様々なPTSDを心に抱えます。

それ故、直感が凄く怖いところは、その不安感を強迫概念にもたらすこと、また、PTSDのあまり、心のよりどころを失うことなのではないでしょうか。

ちなみに、わたしも、自身のことでも、身内のことでも、大変にメンタルを病みました。しかし、最近では、起こるべくして起こることに関して、無理に除けようと思う心が良くないのだと思うようになりました。
もし、自分が助けられれば、あんなことはなかったのにと思う思いを捨てることにしました。それは、「運命」と呼ばれる摩訶不思議な状態を幾つも見てきたからです。

あなたも、直感のもたらす恩恵がいつもプラス方向ではなく、マイナス方向でしょう。

マイナス方向の直感は、いつも大声です。だから気づきやすいのです。プラス方向を受け取りたいと思っても、大声に気を取られたら、結局は小さな声のプラスに気付くことはありません。直感は、プラスもマイナスも、平等に与えてくれます。ただ、あなたの不安感や恐怖感で、マイナスばかり受け取るのと、マイナスは、人体に対して生理的危機感である為に、余計に受け取りやすいのでしょう。

ところで、直感と言えば、働く母には、一種独特の勘がありまして、今日はなんだか、学校に呼ばれそうだとか、嫌な予感がします。そうなると、大体必ず、子供は学校で熱が出たとか、怪我をした等の事故が起きて、結局は学校に出向くなり、色々手配しなくてはならないことが多くなります。
プロジェクトの進行が一番の大事なところに限って、こんな状態が起きることが多いのですが、これは逆に、自身のプロジェクト進行を気にしすぎて、大事な子供の健康管理まで手が回らなかった為です。
プロジェクトを進行させようとしたら、そこまで行ってこその兼業主婦です。しかし、予期せぬ、ノロウイルス等もあり読めない展開は多いのですが、そこまで来ると、「運命」を感じることがあると思います。

それでは、直感にて得た「あの不安感」をどうしたらいいのか。不安が強迫概念に繋がり、ついに、心療内科の門をくぐらざるを得なくなった方々にお伝えしたいことがあります。

直感や予感で得たことを他人に話してはいけません。また、直感や予感で当たったことがあったら、家族ぐらいで話を止めておきなさい。そして、不安感が強迫概念に繋がらない様に、いつも、得た直感に対して、「真摯」にことに当たりなさい。

真摯に「こと」に当たるということは、あなたが知り得た予感や直感の被害が、最小限に済むように、準備をしていただくことをお勧めします。結局は、「運命」がことの大きさを司るのであれば、あなたにできること、わたしにできることは、与えられた直感に対して、いつも「覚悟」を決めることが大事なのだと思います。

そして、あなたに直感があることに、「覚悟」を決めて欲しいと思います。



第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい
マルコム・グラッドウェル
光文社
2006-02-23


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こんにちは。

先ほど、直感で傷つくのは、実は直感で予言や予知をした自分自身であるという話をしました。
あなたの心が、直感で傷つく前に、あなたにしていただきたいことは、直感があなたにもたらすマイナスに対して、「覚悟」を決めていただきたいとも、お話をしました。

直感は、人の心を不安定にします。ある程度、直感が優れている人や、直感に慣れっこになっているひと、上手にプラスもマイナスも受け取る人は、心を病みにくいのですが、それでもマイナスが大きければ、メンタルを病むことは間違いありません。

直感も霊感と同じく、五感の受け取る情報の統計を取ってあなたの経験則に照らし合わせ、「生理的危機感」があった場合、知らせてくれます。このケースが多いので、割と直感を受け取る人は、メンタルが弱くなっていきます。
プラスに受け取る楽しさを覚えていただければ、きっと苦労はないと思います。プラスは大変に楽しいです。なんせ、どこの店なら、皆が座れてあまり待たない等、お得情報を受け取ることができるからです。
また、待ちかねた荷物が届く時、あなたはそれを直感で、「来たな」と感じ取ることができます。そうなると、印鑑持つ手が、大変にウキウキします。

死神と呼ばれ、マイナスの直感ばかり受け取る人は、大声に気を取られ過ぎです。また大声のモノばかりを好んで拾おうとする性格が、結局はプラスを拾えない様に、感性を曇らせるのでしょう。

わたしもかつては、マイナスの直感ばかりが多かったのですが、それ以上に時々ご託宣をすることがあり、それは家族や色々なモノに、多大な富をもたらしました。しかし、それは、反対に自分に対して、「大きなひずみ」を受ける事となり、無理に「運命」に逆らって、「運命」が司ることを変更してはいけないのだと思うようになりました。

それでは、「運命」とは一体何なのでしょうか。

それは、きっとあなたにもわたしにも、答えが出ない、計り知れない力なのだと思います。特に、災害の時は、多くの人がその「運命」に遭うことが初めから決まっているために、それを回避できる人は、ほんの一握りです。では、「運命」に流される人はどうして、分かっていただろうに、「運命」に歯向かって行こうとしたのでしょうか。覚悟が甘かったからでしょうか。

恐らく、それは、人として情けがあり、情けの中で精一杯生きた証を残して行ったのではないかと思います。「運命」は、その人がそれまでの一生を、精いっぱい生きたので、関与したのではないでしょうか。残されて、回避して逃げられた人はどうかと言うと、きっと、残りは、「運命」に出会った人々の事を忘れないようにして欲しいという思いで、残されたのではないでしょうか。

わたしは、「運命」の隙をぬって生きています。「運命」の関与できる範囲は、しいて言えば、大きな薙刀をふるったような形です。では、薙刀が届かない様な近くにいれば、運命の司るマイナスのことを防げるのではないかと思いました。
しかし、「運命」は大変に賢いので、知力と知力の争いになります。見つかれば、大きな災いを身に受けます。

真面目に、「運命」を見る事ができる人は、その「運命」に際して、争わないことを告げると思います。それは、きっとその人の「命運」なんでしょう。その隙をぬってもぬっても、結局は、「運命」はその人を執拗に追いかけます。

それを分かって、どこまで関与できるかはわかりませんが、あなたが好んでマイナスの直感を読みたがる心理は、他人を支配したい欲望の表れだと思います。逆に、読もうと思わなくても、届けられる時は、あなたがそれをスルーできるまで続くのだと思います。

あなたは、聞いてもその情報を記憶してはいけません。もし、大きなことがあったとしても、あなたができることがなかったら、聞いて聞きっぱなしにしてください。幾らでも聞けば、幾らでも情報は流れ、あなたは精神を病んでいくことでしょう。

不安と恐怖は、あなたを逆に攻撃します。

あなたの直感は、あなたが黙ってやり過ごせないことが問題なのだと思います。不安と恐怖があまりにあるのなら、メンタルクリニックに出かけて、情報を少し遮断して休むのも一手です。長時間労働は、頭を鈍くします。適度な休息が健全な生活を生み出します。そうなるのであれば、あなたもきちんと休むことが必要だと思います。

もし、不安や恐怖で怖くて眠れないのなら、自身に負けるあなたには、病院に行くしか他にありません。

霊能者は、不安や恐怖はありません。不安や恐怖をもたらすタイプの霊能者はろくなことがありませんし、何もしていないのに、したとばかりに告げる人も問題だと思います。基本的に、霊能者には、恐怖心や不安感がないことが一番だと思います。そういう人間になりたくて、あなたは霊能者の門を叩くのでしょう。

きちんとしたやり方を教える人はいません。ただひたすらに、あなたに精神力と集中力を鍛えよと告げると思います。それでは、メンタルクリニックで貰う薬との効果には、パラドクスが生まれます。

あなたは、自身にどんなことがあっても向き合うだけの覚悟ができたら、「お薬」を減らしていけばいいのですが、中には、その不安感や焦りで、双極性障害や、統合失調症を迎える人もいます。こうなったら、きちんと、医学のメソッドに習い、寛解してください。

無理に霊能者のような達観を求める必要はありません。悩み足掻きもがく事こそ、人生の大事な単位です。かくいうわたしも、悩み足掻きもがき、PTSDに苦しみました。苦しんで人生が終わるのも、それはそれであなたが一生懸命生きた証です。終わりはありません。

霊能力はひとえに情報のコントロールがカギです。直感も同じです。振り回されるのではなく、必要なところだけ読んで使うのです。

全てには、絶対や正解はありません。






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こんにちは。


直感によって、自分が救われたにもかかわらず、パニックになってしまったある主婦は、その後、色々なことを聞きかじり、普段読まない2chを読んだり、地震予知者のブログを読んだりして、ドンドン不安定に加速がついていった。スピリチュアルのスピの字さえも言わない彼女が、スピリチュアルや地震予知者のブログに踊らされて、煽られて、不安定になった。


ブログや、2chの祭り状態を見ていると、乗らなきゃ損だと思う人も居て、便乗商法のように煽っているひとがいる。おひとつ、石でもいかがですかというパワーストーン商法や宗教がどんどん出てきて、結局は震災を利用して、儲けを得る人が増えた。
とりあえず、このところ地震で揺れてないから、揺れるぞと書きこんでみる。息子の友人の母親は、自身の息子に、スーパームーンは地震の前の証と騒ぎださせ、驚いた息子がわたしに聞きに来たが、わたしは、鼻で笑った。真っ赤な月は、天体現象であって、スーパームーンもそれだよと。それじゃ何かい?日食は、凶兆の印かい?と。

それじゃ、自分も地震について予知をしてみようと分析を始めた。煽る人は、ブログに来る人が少なくなると困るから、地震があってもなくても大きく騒ぐ。ついでに起きた放射能の事件を受けて、あれこれ煽ってみたり、地震の災害グッズを買わせる。けれど、わたしは、そんな利益を受け取れば、利益を受け取りたいがために、アンテナが狂うことが分かっているので、一切そういうことを排除し続け、ひたすら己の為に必要な地震予知について、検証を重ねた。

そこで、自分の耳が痛い時には、一定の法則で、自分が感知しているのだという事は分かった。浮動性のめまいではなく、回転性のめまいが起きた日は、その数時間後に大きな地震が起きることもわかった。勿論、回転性のめまいが起きた時は、どんな時でもまず最初に、「耳鼻科」へ行くことを忘れなかった。耳が痛い時は、「突発性難聴」を先に疑った。
結局、自分は自身に対して情報に、「プッシュ通知」のような設定を行い、その設定の範囲であれば、それを受け取るように収集を心がけたので、イラナイ情報は、全く分からない状態になった。

ここまで、こんな短期間で理解を深めることが、普通には難しいのかもしれないが、出来る人はできる思う。

ただ、利益に目がくらめば、勿論だが精度は落ちる。これは、よく、霊能者は商売で行うと「精度が落ちる」とか、「お力がなくなる」と言われることがある。

霊能者や占い師は、自宅で行うことがない限り、基本的に事務所を構えたり、色々な経費が発生するのは、仕方ない事である。そうなるとそれを維持するために、最低限これ位必要であるという、「経費維持の為の欲」が出てくる。この「欲」を「直感」に絡ませると、結局は精度の緻密さを失うこととなる。誠に分かりやすい事である。


さて、前の記事に書いた「予知予言をする人の心理的前提条件」というものが見えてくるだろう。

ひとを煽って得をするもの、人を煽って賞賛を得たいもの、現実 が厳しいからこそ、地震予知で脚光を浴びたい人、結局は、その当人が当てたら利益があることばかり。外れることについては、逆切れで対応し、ひたすら崇めて欲しい気持ちを律しえない人が多くいた。マスコミは面白半分に取材し、その取材された人は凄い人として、あれこれお呼びが高くなったが、今は誰も振り向きもしない。

わたしは、その人たちは、実は心にPTSDを受けたのではないかと思った。もし、そうじゃなかったら、サイコパスなのだろうか。
人の弱い面を徹底的に餌とし、儲けていく姿勢は、邪悪の無邪気な悪気ではない。故意に、相手が弱っていることを知って行うのだ。

結局、地震に踊らされた主婦は、ついにこんなことを言い始め、わたしにメールをよこした。
 

「XXちゃん予報。地震が起きるよ。これから凄い大きな揺れが来ると思う。」

 

・・・・・・・わたしは、それを読んで、そのままスルーした。そうか、このひとの中の「中学二年生」が目を覚ましたのか。まぁ、放っておこう。人間色々あるさ。けれど、結局、地震は起きなかった。翌日、こんなメールを書いた。「予報をいただきましたが、地震起きましたか?」

予言するんだ?つい先日まで、ショック症状を受けてた人は、「不安定な心の揺り戻し」にあうと、こういうことをし始めるのか。
・・・・誰かを思い出すな。そう だ、わたしだ。


わたしもかつてそうだった。霊能者に「直感」というモノの由来を尋ねて訪ねて歩いて、誰一人としてまともな答えが出ないことに焦りを感じていた。

「後ろの人がいい人だからですよ」と言われれば、「ええ?後ろの人が、んじゃ、このままで居てくれるにはどうしたらいいのか」「なにをしたらいいのか」等、色々考え出して、逆に動けなくなっ た。「誰も納得できる答えを与えてくれないことに憤りを感じた。」なので、自分で答えを出そうと考えた。


今は、後ろの人が誰だっていいじゃないのと思えるのだが、「運命」があまりに不可思議で、逆らってみたい気持ちがどうしてもあった。「運命」のやりたい放題にさせておくのは我慢ができなかった。

結果的に、わたしは霊能者になって、「直感」の由来について研究を深めた。それ程に自分自身について、直感を甘く見た結果に起きた「PTSD」がきつくて、直感は、メンタルに対して大変な影響力を持っていたのだと実感した。


人間には、色々な体質があって、通常の設定されている音域以上の聞き取れないような何かの違和感の音を感じるひともいるし、感覚では、医学で設定できている以上の範囲を超えた視力の人もいるし、設定された色がそのように見えないひともいる。五感の「総合統計違和感」が、ピークになった時に、「直感」はあなたに語り掛ける。
胡散臭くて得体の知れないところに行って、なにか感じたら、誰だって、「直感」でここはヤバイと思うだろう。その不協和音を感じるように、日常の中をどれだけ、条件化し、パターン化し、分析して、差を見ていく観察力を身につければ実は誰にでもできることである。五感の統計であるから、五感に貰う情報に振り回されず、五感の情報を、単なる情報だと思えばいい。
他には、自分の先入観を育てた環境のパターンと合致するかしないか、「差」を冷静に判断できれば、「違うものクイズが、あなたに即できるようになる。」

これが、「直感」だろう。


ただ、直感が、いつまでも、系統だった学問になりえないのは、必ず、「あたりはずれがある」からだろう。

パターン認識で、右の画面と左の画面の違うところを見つけていくだけのことだ。


例えば、エクセルファイルに入力されている項目欄ひとつひとつに対し、あなたは複雑に意味を考え過ぎだ。項目に対して、あらぬ感情を持ったり、揺らされたり、様々な心の揺れ動きをしているから、全ての統計が取れないのだ。項目に、「女」「男」とあったら、そこで、「ゲイ」もいるのに等、項目に際し、余計なことを考えるからだ。項目に「女」と「男」があったら、「行政上の振り分け」と考えておけ。それ以上に、ゲイやトランスパーソナルを入れたかったら、別項目で用意すればいい。

あなたの統計のまとめ方が悪いから、シンプルで必要な情報が得られない、「ごちゃごちゃした情報を規則性なくまとめた統計」にしたら、それに振り回されて、メンタルを病むのは、簡単だ。

人間は理不尽である。組織も理不尽である。そんな項目は、一番最初に、「前提条件」として作っておくものである。


また、五感の統計は、基本的にシンプルな方が使いやすい。今も、プログラムを組んで思うのは、パラメーターを細かくして細かくして煩雑にすればする程、ひとは難しすぎて使わなくなるものである。複雑なパラメータの意味を、人に説明できればいいが、どうしてそういう項目を作ったのか、説明できないのであれば捨てればいい。捨てられないのは、ただひとえに、その項目に異様に「あなたがこだわる」からだろう。

そのこだわりに、「がんじがらめ」になり、メンタルを病んでしまっては、元も子もないだろう。

こだわりなんか、捨ててしまえばいい。「プライド」と「こだわり」が、両天秤に乗っている内は、冷静に何も見ることはできない。

霊能者や占い師の「金銭欲」「名誉欲」は、「一つの項目」である。金をまた、持ってきそうな人をリストに入れておき、フィルターにかけて営業をかければ済むことだろう。どんどん新しい商品を、「ステージが上がった」と言えば、盲信してくれる以上、購入してくれるだろう。そう考えていけば、精度はどんどん曇る。


直感による不安定さから、「当たったことを認めてもらいたい」、「心の不安を吐き出したい」、色々とあるだろう。友人に煙たがられても続けるのであれば、あなたは友人をなくすだろうし、金を出してカウンセラーに行っても、カウンセラーも支えきれないモノがある。そういう時には、休みなさい。休んで寝て、あたまをよく自分で整理することをお勧めする。
整理できるまで、考えは休んだ方がいい。休めない時は、自分が壊れている時だと考えて欲しい。
根性論で、働かない頭を整理できると思わないことだ。根性論で、疲労は治らない。根性論で病気は克服できない。
根性論で、克服できるのは、「あなたの甘ったれた考えでことに当たる姿勢」だけだ。根性論で通用することは、「現在の自分を認め、受け入れる覚悟」だけである。

頑張る自分を厭うな。頑張る自分の頑張りが、自分の目標に達成できないだけで、自分を嫌いになるな。直感に振り回され、辛い思いをしてきた自分を認め、素直に心が辛かったことを認めよう。そして、改めて、その上で、覚悟を決めるといい。覚悟を決めれば、分かることがある。

直感は、得られる情報に振り回されず、イラナイ情報を上手にコントロールできてから、始まる。




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こんにちは。

 

わたしは、家では予報官と呼ばれている。気象関係の変化を当てることに異様に長けているところから、主人が名付けたのである。

わたしが、気象関係に詳しいのは、小さなころからであり、必要に応じて観天望気という先日ここで出た話を行ってきた。自分の直感に関しては、自分で自分なりの理由があって、色々な行動を取る。

例えば、雨が降りそうもない時に、店の一番近くに車を止めろと言ってみたり、傘を何故か持っていたり、行動を全て洗い出してみると、わたしは実は 「雨が降る」と確信して行動していたのだと思えることが凄く多かった。しかし、同時に止むタイミングも知っていて、出来る限り無駄を避ける為、上手にその タイミングをぬって生活をしていたりする。

だから、いつもは、持って出るカバンをその日だけは、雨に強いカバンに変えてみたり、様々な不思議な行為を無意識で行う。

無意識で行う理由は、説明してもどうせ、雨が降りそうもない時に、「雨が降る」と言えば、馬鹿にされるのがオチである。

今でこそ、レーダーが発達して、その行動の理由は、Iphoneで確認する事ができる。しかし、そんなことができなかった遠い昔、わたしは、その行 動故に、大変に苛められることもあり、また大変に気味悪がられることもあった。ピタゴラ「不思議」スイッチにも残っているが、予感によってわたしが無意識 に手を伸ばした先に、急に突風が吹いて、紙を握ることもあり、大変周りも不思議に思ったが、わたしも、実は不思議だった。

どうして、そんなイメージが急に湧くのか、わたしにはわからなかったし、理由を説明するのには、不十分だった。

 

その内、自分で分かってきたのは、わたしは、「差」を見つけるのに大変長けており、気圧のほんの少しの差でも見逃さない観察力や、見ているわけでは ないが、その差が何をもたらすのかを無意識で分かるだけの洞察力があった。パターン認識に強く、パターンに差異があるとすぐに気が付いた。その感覚は、わ たしにとって当たり前のモノであり、わたしの家族は、様々な検査の結果、そういうわたしを普通に扱った。しかし、その反面、外であまりこういうことを話す なと告げてきた。

わたしは、差を見つける中で、差がある種の共通のビジョンを人に見せることもなんとなくわかっていた。

 

その中で、どうしても説明がつかないことが、この世に起きることも分かっていた。その理由が知りたかったのだが、誰も答えることはなかった。それど ころか、わたしは異様な目で見られ、統合失調症と、霊能者を名乗る人たちから遠慮なく言われてきた。わたしは、これが恐らく、父や母が恐れた直感の不安定 さを表現してしまったことによる弊害なのだろうと考えた。霊能者だけではなく、医者も遠慮なくそう言った。結果が何回も続きだしたら、医者はわたしを嫌が るようになった。

「理解されない時は、理解されるまで待て」と父はよく言った。父は、20年先に発見される事象をいつも研究してきたからこそ、そう言ったのだと思う。

情緒不安定さは、高校生の頃にはマックスになり、わたしは、当てモノが得意な人間となり下がった。理由のない当てモノだから、何度も何度も依存され ると、精度が狂う。沢山のトラブルを経験し、現時点でもタロット等を金を貰って客に行うことはない。ごく身内に行う事はあるが、読み方が独特なために、ご く限られた人にしか、公開しない。

しかし、今、コンピュータや、様々なシステムを自分が作る中で、思えることがある。

 

人間は、五感と言う感覚を備えた歩く情報処理機である。臓器は、それぞれ、人間が後から真似たがるほど、精密にそれなりの役目をこなすように作られ ている。そんな臓器を内蔵し、人間は情報を処理する。その情報を得る得方は沢山あるのだが、生活によって、鈍磨することもある。何かに熱中して、麻痺する 感覚もある。その感覚を、見過ごさず、意識し続けることは、中々難しい事であり、大人になってからは、余計、先入観が邪魔をして、確認を行う事ができな い。

 

故に、確認したり、検証したがらない人たちは、ただわたしの感覚に対して、「統合失調症」と揶揄して終わっただけだった。逆に、彼らはそれ以上を知 らなかったし、それ以上を知ろうとは思わなかったようである。また、キレて見せたり、見捨ててみたり、振り込んだ額に見合うだけの答えは出せなかった。

 

結局、わたしは、そういうことが、沢山の人に同様に多数起きる現象を見極め、色々な方面から分析し、それを数理統計に持ち込んで計算してみただけの ことであった。勿論、人の感覚には誤差がある。だから、直感は、100パーセントではない。でも、それでは、どうして、わたしは、地下鉄の流れを当てた り、タクシーが来るかどうかを当てたり、気象情報を当てるのかと考えたら、恐らく、自分にとってメリットのある感覚は、伸びる傾向があるのだと考えた。

これは、金には結びつかない。だけれど、自分にとっては、偶然セールに行きついたり、偶然お得なことになったり、非常にメリットを感じたので、伸び たのであろう。恐らく、他人にしろ示す感覚では、メリットの具合が違うので、伸びなかったのではないかと思う。他人にしろ示して、他人から金銭を得て伸び る部分もあるだろう。だけれど、その分、依存者を作り出して、自身の精度が落ちてしまった時の叩かれ方は、半端ない。

わたしには、そこまでして、他人を救う必要はないと今は考えている。でも、出来る範囲知ったことを残しておくのは、先人としての使命だとも考える。人を依存させるのは好きではないので、故に多少なりしか書かないが、それが、このブログである。

 

自分の生活の糧や、期待したい金は、別の仕事で稼いでいる。十分なほどの稼ぎがあるので、それで満足している。

 

わたしは、現在も、家の人間にとってメリットの多い予報官である。

わたしは、それでいいのだと思っている。

 

PS:ところで勘違いして欲しくないのは、統合失調症と言われた場合には、必ず医者に行って正確なリファレンスを貰うことが必要である。わたしの場 合は、わたしの行ったところの医師が、わたしを「精神病ではない」と考えた。だから、わたしは、それで縛りはなくなったが、今でも情報過多すぎる時は、 ちゃんと睡眠薬を貰いに行って、遠慮なく寝る。

その3でも書いたが、地震に関係した回転性のめまいの際にも、必ず医者に行く。そこは絶対欠かせないポイントだと思って欲しい。


うそつき―うそと自己欺まんの心理学
チャールズ・V. フォード
草思社
2002-04


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