こんにちは。
神社庁に喧嘩を売っている訳ではないので、一言先に述べておきます。
私、昨年度神棚をあつらえたんですが、残念ながら機能は昨年の5月から止まっています。
一言で言えば、神棚のお札の気が問題だった。初日から凄い訳でもなく、ひとしきり凛凛と気を出していた。けれど、自分の家に色々なものを呼ぶ性格で、仕事 上、その色に染まる事自体が、継続を諦めさせた。
で、自分では、一応、今年分もお札を買ってきた。お札自体の起動もできるようにはなった。けれど、やはり仕事の性質上、その気が邪魔な時があった。必要な 時に必要とする神は現れる。それが痛い程分かったのは、昨年の11月の入院だった。
昨年の5月には、榊が買ってきたその翌日には枯れ果て、榊のリレーゲームを経験した。けれど、何故榊なのか?と聞かれたら、こう今では答えると思う。
「Ever green」つまり、常に常緑樹で、生命エネルギーが凄く強い。恐らくそれに何かを見出したんだと思う。だから、シルクの榊を置いている人は、あれは、気 の装置の維持としては、違う。神棚は、いい気を常時出す、気の装置ボックスだと思って欲しい。けれど、その気だけでいい人もいる。
人は強欲だから、崇敬神社の数で相当な数になる。だから、そういうミックスチュアでの装置作成もできた。しかし、神社同士の気が合わなければ、どうだろう か。恐ろしく禍々しくなる気を放つ装置になることも、理論上では可能なんだ。
で、自分は、物事を簡単に呼び出せるように、丹念に日常生活のどこかで練習を積んだ。そして、様々な事象に当たるべく、気を呼びだす事をした。結果、龍か ら天狗から、天女から、寺の毘沙門天から、そんな事をしている内に、一定の気が家に常時あるのは困るという状態になった。
元自宅警備員としてここのブログで働いていらっしゃった、天の元后等の像も、気をシャットダウンした。一度人が訪ねてきて、起動して歩かれたが、全て シャットダウンした。必要なものが呼び出せる環境は、結論として、「時々神、時々仏、時々心霊、助けたまえ精霊」になった。
という訳で、神棚シャットダウンしています。行く事はありますし、必要な気は覚えています。ちなみに、こういっちゃなんなんですが、心霊も得意なので、普 段はお仏壇をシャットダウンしてあって、呼び出しをくらった時、オープンにする事をしています。現在は、彼岸おまいりに呼ばれていますが、どうしても主人 を説得する事が出来ず、彼が出張から帰ったら考えておこうかと思っております。
ええ、説得していない時の心霊というのは、人間並みですから、先が見通せません。ですので、非常に煽りや脅しなどありますが、まぁ、そこんところは、多少 額縁の写真が真っ黒くなろうと、至って平気でございます。
そういう意味で、神棚が気の発生装置で、それを家に呼んで、家の浄化を考えたんだと思いますが、今の私には必要なく、しかし、もったいないので、神棚は捨 てずにおいておきます。中はちゃんと毎年詰め替えております。マリア像などもそのまんまです。
ところで、先日家人が、カンボジアに出かけ、仏像を買ってきて、これを仏壇にと仰ったのですが、宗派が違うのでとお断りし、現在、その仏像は、家人の部屋 にございます。しかしですね、中々、スマートないいお顔をされた仏像で、我が婚家が、浄土宗でなければ、恐らく仏壇に置いていたかもしれないなと思いま す。浄土宗は、阿弥陀仏。私の好みは、不動明王、大日如来。家人の好みは、釈迦如来(しかもスリムな時の釈迦笑)。なもんで、仏壇自体も〆て、ダイレクト アクセスで、必要呼び出し時に墓に詣でるとか、非常に便利な事を行っております。
(時に、もう自分自身が増上寺系統であつらえたお位牌もいらないとか言い出すんで、姑に止められております。)
普通の人にできる「いい気」の発生装置の作り方ですが、そうですね。これが難しいんです。世の中、波動と波動がぶつかって、瘴気になる事がよくあるもんで すから。ですから、一点集中型の方が、割とやり方は簡単である事、一部屋毎変える事や、それぞれのもつ「陰」と「陽」に集中して考えていただければ、お祭 り方法がおのずと見えると思います。
アマテラスオオミカミは分かるのですが、他は、自身の性質と良く合わせて考えたものが一番かと思います。ちなみに、私は、今の場所の氏神と呼ばれる神社 に、ひとりで行けた事がないです。何度も探しているのですが、一回だけお祭りがあって、主人が私を連れていった時には、行けたんですが、それ以外では、気 に迷わされて行けた事はありません。
その癖、天祖神社や妙見等には、ほんと、気がついたら目の前だったとか、カトリック教会もそうですかね。天の元后メインである所には、殆ど呼ばれます。 まぁ、それでも、それ以外の方のお力をお借りしての現在ですので、そういう理由で私自身は神棚を閉じた。そうお考えくださいませ。
朋
神社庁に喧嘩を売っている訳ではないので、一言先に述べておきます。
私、昨年度神棚をあつらえたんですが、残念ながら機能は昨年の5月から止まっています。
一言で言えば、神棚のお札の気が問題だった。初日から凄い訳でもなく、ひとしきり凛凛と気を出していた。けれど、自分の家に色々なものを呼ぶ性格で、仕事 上、その色に染まる事自体が、継続を諦めさせた。
で、自分では、一応、今年分もお札を買ってきた。お札自体の起動もできるようにはなった。けれど、やはり仕事の性質上、その気が邪魔な時があった。必要な 時に必要とする神は現れる。それが痛い程分かったのは、昨年の11月の入院だった。
昨年の5月には、榊が買ってきたその翌日には枯れ果て、榊のリレーゲームを経験した。けれど、何故榊なのか?と聞かれたら、こう今では答えると思う。
「Ever green」つまり、常に常緑樹で、生命エネルギーが凄く強い。恐らくそれに何かを見出したんだと思う。だから、シルクの榊を置いている人は、あれは、気 の装置の維持としては、違う。神棚は、いい気を常時出す、気の装置ボックスだと思って欲しい。けれど、その気だけでいい人もいる。
人は強欲だから、崇敬神社の数で相当な数になる。だから、そういうミックスチュアでの装置作成もできた。しかし、神社同士の気が合わなければ、どうだろう か。恐ろしく禍々しくなる気を放つ装置になることも、理論上では可能なんだ。
で、自分は、物事を簡単に呼び出せるように、丹念に日常生活のどこかで練習を積んだ。そして、様々な事象に当たるべく、気を呼びだす事をした。結果、龍か ら天狗から、天女から、寺の毘沙門天から、そんな事をしている内に、一定の気が家に常時あるのは困るという状態になった。
元自宅警備員としてここのブログで働いていらっしゃった、天の元后等の像も、気をシャットダウンした。一度人が訪ねてきて、起動して歩かれたが、全て シャットダウンした。必要なものが呼び出せる環境は、結論として、「時々神、時々仏、時々心霊、助けたまえ精霊」になった。
という訳で、神棚シャットダウンしています。行く事はありますし、必要な気は覚えています。ちなみに、こういっちゃなんなんですが、心霊も得意なので、普 段はお仏壇をシャットダウンしてあって、呼び出しをくらった時、オープンにする事をしています。現在は、彼岸おまいりに呼ばれていますが、どうしても主人 を説得する事が出来ず、彼が出張から帰ったら考えておこうかと思っております。
ええ、説得していない時の心霊というのは、人間並みですから、先が見通せません。ですので、非常に煽りや脅しなどありますが、まぁ、そこんところは、多少 額縁の写真が真っ黒くなろうと、至って平気でございます。
そういう意味で、神棚が気の発生装置で、それを家に呼んで、家の浄化を考えたんだと思いますが、今の私には必要なく、しかし、もったいないので、神棚は捨 てずにおいておきます。中はちゃんと毎年詰め替えております。マリア像などもそのまんまです。
ところで、先日家人が、カンボジアに出かけ、仏像を買ってきて、これを仏壇にと仰ったのですが、宗派が違うのでとお断りし、現在、その仏像は、家人の部屋 にございます。しかしですね、中々、スマートないいお顔をされた仏像で、我が婚家が、浄土宗でなければ、恐らく仏壇に置いていたかもしれないなと思いま す。浄土宗は、阿弥陀仏。私の好みは、不動明王、大日如来。家人の好みは、釈迦如来(しかもスリムな時の釈迦笑)。なもんで、仏壇自体も〆て、ダイレクト アクセスで、必要呼び出し時に墓に詣でるとか、非常に便利な事を行っております。
(時に、もう自分自身が増上寺系統であつらえたお位牌もいらないとか言い出すんで、姑に止められております。)
普通の人にできる「いい気」の発生装置の作り方ですが、そうですね。これが難しいんです。世の中、波動と波動がぶつかって、瘴気になる事がよくあるもんで すから。ですから、一点集中型の方が、割とやり方は簡単である事、一部屋毎変える事や、それぞれのもつ「陰」と「陽」に集中して考えていただければ、お祭 り方法がおのずと見えると思います。
アマテラスオオミカミは分かるのですが、他は、自身の性質と良く合わせて考えたものが一番かと思います。ちなみに、私は、今の場所の氏神と呼ばれる神社 に、ひとりで行けた事がないです。何度も探しているのですが、一回だけお祭りがあって、主人が私を連れていった時には、行けたんですが、それ以外では、気 に迷わされて行けた事はありません。
その癖、天祖神社や妙見等には、ほんと、気がついたら目の前だったとか、カトリック教会もそうですかね。天の元后メインである所には、殆ど呼ばれます。 まぁ、それでも、それ以外の方のお力をお借りしての現在ですので、そういう理由で私自身は神棚を閉じた。そうお考えくださいませ。
朋
