「北極星を目指して」 (左脳のひらめき)

I'm your polar star in the journey of life.

僕と病と霊能者と

僕と病と霊能者と その1 「概論」

こんにちは。

今、精神医学について学んでいますので、生々しいですがごめんなさい。

基本的に、クソみそ一緒ですが、霊能者も統合失調症も何ら変わりはないと思っています。感覚過敏であるという事では、同一線上のアリアです。ただ、統合失調症は、社会に不適応である、苦痛感がひどい、という事で、病と言う道に進みます。社会に不適応であると言うのは、感覚が邪魔をして、正常な社会生活を損なう状態であるという事実と、他者に危害を加える場合、自分に危害を加える場合に対して、非常に厳しく「病」という道に進みます。

どこの霊能者もそうだかは、大変怪しいのですが(笑)、基本的に正常な社会生活を送り、社会的義務を果たし、社会から認識がある場合は、感覚過敏であっても、病とは一くくりにされません。

覚せい剤は、感覚過敏状態を、人工的に作り出す薬です。身体依存はありませんが、毛髪に残るというケースを考えると、何かしら身体に影響している部分はあると思います。どの道、脳内物質の伝達経路の破壊行為であったり、脳内物質の量のコントロールを壊す行為には変わりありません。霊能者も統合失調症も基本的に、感覚過敏さんは、脳内物質伝達経路が、通常よりジョビジョバか、カツカツだと(笑)考えていただければそれで結構です。

感覚過敏によって引き起こされる感情は、精神が未熟な故に受け入れられないので、非常に恐怖や不満を感じ、強い憂鬱感、強い不安感、強い焦燥感を得るのが統合失調症の陰性です。陽性だと、「神降臨」ですかね。現実的な結び付けの日常の中に、非現実が混ざり、現実の社会生活を損ねた場合は、病気です。非現実は非現実もあるんだろうけれど、別に、何とも思わないもんと思う人は、こりゃ病気ですと医者に言っても、「殆ど薬は出ません」(涙)。

非現実な非合理的なこじつけを、普通の顔で現実生活に始めた場合、基本的にその人は隣のサイコさんとなって行きます。朝起きて、ご主人/奥様に「昨日神が降りてね、私に言ったのよ。XXしろって」

これで、あなたの人生、悪く取ればそのまま入院です。
ですが、これが、霊能者がどうして病院送りにならないか(あくまで、普通の霊能者と考えてください)と言えば、まぁ大体の霊能者は、こういう感覚過敏になった際には、自分で「生き難さ」を感じます。

幻覚が見え、幻聴が聞こえ、幻感がし、人の死期や人の考えている事が読み取れた時に、一番最初は誰も慌てます。で、これに対し、霊能者は精神の未熟性がないんです。多分殆どの霊能者は、「感覚過敏に限って精神的な許容範囲が広い」のであって、人格形成に対する「全てに精神的な許容範囲が広い」という訳ではありません。で、どうやって霊能者がそこまで育っていったかと申しますと、許される子供の頃に散々ぱら、痛い目に遭ってるんですよ。見えた事を正直に口に出した時の社会の違和感を身で持って知っているんです。で、対応法を身をもって知っているんです。だから、普通の生活の中に、ぽっこり実は、そういう人が一杯いるんですよ。ただ、霊能者はそれのスペシャリストで、看板を出すだけの事で。

感覚過敏を治すにはどうしたらいいかってのは、こりゃ、行き先ない迷路のようなものでね、あまりに感覚が鋭くなった時に、大体人ってのは振り回されて、疲れ果てるんですよ。それが毎日続くと、目の下にクマを飼うんです。で、覚せい剤も同じです。散々やった挙句、抜いた途端、虚脱症状で、目の下にクマです。まぁ、感覚過敏を、精神が未熟なままで突っ走るとどうなるかってのが、覚せい剤の例で分かる訳ですが、「人間辞めますか?」って事になるんですよ。

精神が未熟なままだと、感覚過敏と言うツールに使い倒されるので、見えて聞こえて触れて感じる、その情報を、「一呼吸」自分の中でおくだけの余力がないんですよ。不安、焦燥ってのは、自身の中に溜めておけないんです。で、我慢するとか、ぐっとこらえるとか、待つとか、そういう事、未熟な人はしないです。どうやって、相手に伝えようとか、どうやってどうやってって考えます。それこそ、「自己顕示欲」です。自身が「社会生活」に「劣等感」を持っていれば持つほど、そういう事が言いたくなります。「その行為によって、自分を優位としたい」からです。社会生活に磐石な基盤があったら、絶対言いませんよ。能力だと思った途端、一生懸命、自分はどうしたらいいか、「使命」だ使命だと騒ぐ人がいますが、そういうので優位に立てると知った途端、はしゃぎだして大きく社会の道を踏み外す感じかな。「精神的依存」が生じるんですよ。それによって「努力もせず」優位に立てたと思うから。

それと、自身で遊びだと思っている所から社会生活の規律の和を乱す少し前までの間は、意外と皆さん、生温かく見守るんですよ。精神分析医ですら、「このシンクロは、必然だ、運命だ」とか、真顔で言うんですから(笑)。(あった出来事を並べて運命と言うのと、ない出来事を並べて天命だと言うのは絶対に別)

一呼吸を自分の中に溜めておけるノウハウを持った人が、現時点病院に行かなくても済んでいる人です。

で、感覚に振り回されると疲れるんですよ。陽性の人は凄くエネルギッシュなんですが、陰性の人は動きたくない、倦怠感で朦朧としています。その真ん中の人は、社会適応している訳です。どうですか、プラスに転びすぎても病院、マイナスに転びすぎても病院なんですよ。理由は、再度申しますが、転びすぎると、他者に危害を加える可能性が出てくるのと、自分に危害を加える可能性も強くなるからです。

精神性の未熟さを埋めていけば、少しずつ真ん中に戻れるようにはなるんですが、ただ、急性期というのもあって、非常にやっかいなんです。だから、医者の領域でもあるんですよ。薬が必要だから。医者が悟っているんじゃなくて(笑)、医者には薬の使い方を教えてもらい、目的意識を持つ方が大事だと思います。医者に治してもらうんじゃなくて、自分で大きくストップをかけると言うね。病識(病気だという自覚)までいかないにしろ、選民意識や、十分社会性を損なっている状態の人は、考えた方がいいんですよ。精神の未熟さについてね。

それが、白い玉と黒い玉とで表したり、心の闇と言ったりする訳でね、柔らかく言っている内に気づけよ、って感じですが、結局は、その感覚を受け入れて、どうすれば自分が生き易くなるのか、分析し考えていかないと難しいです。精神の未熟ってのは、人それぞれで、ここで個々の特性についてまでは書きませんが、確かに感覚過敏は、木を見て森を見ず、森を見て木を見ずより、見すぎた情報に囚われてパニックを起こしているようなもんです。それをどう処理をするのかは、適切な師にでもつくか、自力本願寺で頑張ってください。

薬も漢方やアーユルベーダ等でも対処できる(どの道同じ成分なんだけれど)ものもありますので、そういうのを適時使って、精神の未熟さを少しずつ、外堀から埋めるってところでしょうか。

概論として書きましたが、これから依存などの話にも入っていきます。




PS:精神医学の方から切るとさ、身も蓋もないね(笑)。いきなり、ジ・エンドって感じかな(涙)。

僕と病と霊能者と その2 「セラピストの舞台裏」

こんにちは。

本日は霊能者や能力者が陥りやすい点についてあげて行きます。

基本的に、スピリチュアルな相談事も、人が悩む問題も、巻き込まれた犯罪も、霊能者やセラピストは聞いていきます。殆どが、セラピストにとって、非日常的な事例ばかりだと思います。

余りに、非日常的な事を首突っ込んで聞きますとね、人って結構、悪意がなくても悪意と取られやすい行為がでちゃうんですよ。

特に、非日常的な犯罪や暴力やそういうネガティブな事を聞いていると、自分でその痛みを受け取るセラピストもいるし、無論、あまりにそういうハードな事例ばかり扱いすぎて、バーンアウト(燃え尽きる)人もいますし、ハードな事例に一生懸命当たっても、クライアントが改善されなければこりゃまた、バーンアウトです。また、セラピストが感情移入しすぎて、その事例から足を洗えなくなってしまい、結局セラピスト自体が辞めざるを得ない事も良くある事です。(オフィス北極星では、ゴーがリスク管理の危機概念を説いて歩いて、それでも潰しきれなくて無力感に浸るんですよ)

ついでに言えば、非日常って、要はセラピストにとっては日常ではないので、あまりハードすぎると、セラピストの心の中でプチお祭り状態になってしまう事、軽い躁状態に陥ってしまう事も普通にある事です。で、結構こうなった時のセラピスト・霊能者は、覗き見しているような感じです。つまり、自分は安全地帯にいて、そしてそこから大上段で、クライアントを見る。いつでも、自分は安全であり、かつ、人の不幸が、滅多に見られないうまか棒に見えてしまう事で、セラピストの心が軽く躁状態になるのです。(私もかつて、そういう人達に遭った事があります)。

で、セラピストが自身に問題を持っている場合、人を救う事で、実は自分が救われたい、自分は本当は自分の人生をこうするはずだったけれど、出来ないから、「クライアントの人生で自分のやりたかった事の「投影」をしている」人が圧倒的に多いのも事実です。

耳が痛いですか。
ちなみに、私自身の事で言えば、私自身がクライアントとしてセラピストの下に行った時は、「本、書きなよ、絶対売れるって」でしたかね。非常に失礼な感じですね。セラピストが対応しきれない問題を自分では抱えていましたし、現在でもこれをセラピーできるのは、自分自身で、色々なものをサポーティブ(補助的)に使うけれど、最後は自分でするしかないと、精神医学の方面からは思っています。

セラピストや霊能者が胡散臭いのは、ただ単に知識が足りないのに大上段だからじゃないんですよ。非合理的なこじつけをして、絶対に解決しないまま、延々と金を搾取するから胡散臭いんですよ。だって皆、マニュアルがあるように言うじゃないの。「神の試練です」って(涙)。
それで解決つかないから、困っているんだって。どっち行ったらいいのか位教えてくださいよと。失恋したとか、そんな問題じゃないって。

生きるか死ぬかの大きな騒ぎの時に、解決つかないなら初めから、「解決はつきません。ですが、あなたが自分の今後のあり方を探して生きたいと言うのならお手伝いします」とか、「絶対的な答えはありません。全く前の状態には戻りません。今の所から、さし当たって進めるようにいい助言をしていきましょう」

とか、言ってくださいよ(涙)。そういう言葉や、「涙が出るのは、まだ悲しいって気持ちが残っているから涙が出るんです。涙が出るうちは、泣きましょう。泣く事を恥と思わないで泣きましょう。」と言えるのどれだけいるんですか。

どんなきつい問題でも巻き込まれれば、本当に理不尽なんですよ。で、それからの生活は、その問題の後のままで生きるから、ハンデありで、不条理です。それを、とにかく、落ち着いて心穏やかに聞ける人ってどれ位いるんですか。そして、ハードでも、聞いて聞いて聞き倒しても、自身がネガティブさを貰わないとか、自身のトラウマにもならない霊能者ってどれ位いるんですか。自分を啓蒙し続ける霊能者ってどれ位いるんですか。ついでに言えば、すぐ非合理的な存在に結び付けない霊能者ってどれ位いるんですか。安心して話せる霊能者ってどこにいるんですか。

セラピストが、ハードな事例も含めて、バーンアウト無しに継続していくには、経験が豊富である必要があると言う事(経験が多ければ多いほど、ワッショイになりにくい)、的確な指導や監視の下である事、そして、勉強を積むことでしょう。また、ハードな事例ばかりではなく、ライトなワークも時たま入れて、ライトワーカー(笑)として、バランスを取ること。そして、自身のストレスマネジメントに徹底する事でしょうね。

とか言いながら、私は、自身が霊能者として人に当たった場合、起こった事柄に対してフォーカス(焦点)を当てますが、人の感情自体にはあまり深く関わりません。これは、私が私自身を守るための方法です。感情移入すれば、元々、感応性が高いので、簡単に共振します。ですが、そこから抜けて返って来られなくなります。

だから、私は、事象が起きた相談は、因果関係を客観的に洗い出して、因果関係を清算し、そして終わりにします。その人の感情をブレイクさせるのは、対面において、その人の顔を見ながら行います。

私は、自分は霊能者である前に、事象の分析屋であると自身に命じています。ですから、事象を感情を抜きにしてどうなってどうなったという部分の照らし合わせは行います。ですが、それをして、その結果をどうあなたが使うのか。それは、あなたの今の心の赴くままでいいと思っています。

ついでに言えば、私は犯罪の被害者としての経験の枠が、相当幅広く経験しています。DVから性犯罪から、撃たれる寸前まで、何でも、殆ど経験しています。だからクライアントの事象は自分の中の既出であって日常な為、「非日常だ、ワッショイ」になりにくいんだと思います。

さて、霊能者に依存する人が多いです。

で、では霊能者に対する依存や、感覚に対しての依存や薬の依存に関して、その次の話とさせていただきます。


僕と病と霊能者と その3 「統合失調症」

こんにちは。

統合失調症と言うのは、一昔前の、「分裂病」と呼ばれた病です。神が降臨しても、人格は分裂してませんので、「統合失調症」と呼ばれていて、これが全く、解明は出来ていません。多少、脳内物質と思う部分もあるのですが、全ては解明されていません。

その癖、羅患率は高く、4人に1人はいる見込みになっています。まぁ、エンパスが5人に1人だと言いますが、似たような比率です。要は、感覚過敏です。

ただ、この感覚過敏が、ある程度まで敏感になったとしても、結構ありえる事で事実として説明がつきます。例えば、我が実家で言うと、私が学生の頃、物理博士だった父が、結構言うんですよ。電車の音が聞こえると。

で、駅ってのは、1キロ以上離れていましてね。アップダウンがあるのと、途中に大きな道路が挟まれているので、感覚としても物理的にも、「あり得ないんですよ」。ですが、その当時の私が、験しに時刻表を持ってきまして、電車の音がするという父のその電車が、「本当にダイヤグラム通りか」どうか、検証したんです。父は時計を見ないで、電車の音を答える。結果、一本の狂いもなく、上下線共に、聞こえてた時間は、「マジに」電車が通っていたと、立証された訳です。

で、時に風の吹き方が違うと、聞こえにくいとか、そういう所まで検証しまして、まぁ、人って聞こえるもんなんだなと言う事になったんです。(どうしようもない実験家族ですな笑)

しかし、統合失調症さんの場合、神降臨にしても、神が降りて来て、それでおしまいと言う訳ではない。必ず、その神が言った事が問題になるわけです。契約しろとか、人にこの話を言って聞かせろとか、お前の体を取るぞとか。

その妄想が、自分の中で収まっていく妄想ではなく、他害か自傷に向くんですよ。

死ぬほどひどい目に遭ったとか、契約したんで、とか、人に広めないといけないとか、言い出して、最後には人に広めだすんですよ。もしくは、自分が危害を加えれられると本気で思って、普段から鉄兜をかぶる人さえいます。その普段にありえない、「非日常的な攻撃力」が自分に向くか、他人に向くか、どっちにせよ、自分で自分を切り刻む事態、病院に行かなければ手当てが出来ないので、病気認定になるわけです。

ここで、お不動さんを忘れたの?とか言われるでしょうけれど、私だってちゃんと覚えていますよ。ですが、仮に契約した内容があったとしてですよ、それで強引な手法には私は出ません。大きく本を出して、この考え方を広めたい、余さず沢山の人に知らせなければ「自分の身が危うい」とかまず、思いません。危うかったら、強引な手法で広める前に、多分私の性格上、「お不動さんに徹底的に直談判に行く」と思いますけど。

このブログは、私自身が、知識の保管庫として置いてある面もありますのでね。別に、人のために書くんじゃないし、読んだ人に、ランキングを押して感謝の意を込めろとか、言いませんしね、ランキングに作用されて書くんじゃなくて、自身が書きたい事を書いてるだけなんですよ。不思議は不思議なんですが(苦笑)。

で、夏の夜の怪談とか、実際多数の人が反応する公認定な事ってあるんですよ。だけれどね、それによって、自分自身が破綻するとか、気が狂うとか、怖くなって暴れだすのが日常的に起こりえる、そういうのがあれば統合失調症ラインだと思いますけれどね、

ただ、非常なる防御の裏側に何かあるのかと聞かれれば、たまに心霊物件とかあるんですよ。全くない場合が殆どですけれど。神が降りてきたと称して、ご自身の写真が大きく心霊写真である場合もあるんですよ。こういうの、見る人が見なきゃどうにもならんのですが、その後、適切なケアを継続して施すのは、よほどしっかりして見て行かないと、瞬時にして病気になりますしね。

キツネが憑いたとか、憑依で、思いっきり引っ叩く人がいるんですが、私もそういう状態になった若い頃があるんで、こりゃもう、鼻血もんなんですが、正気に戻すために、昔、魔女狩りとかで、水かけたりとか、叩いたり引っ張ったり、拷問とかあったじゃないですか。
あれ、今では殆ど、精神病疾患の人が対象だったんあろうと、精神医学で言われているんです。
新興宗教で、よく叩きすぎて「死なせた」とかあるんですけれどね。死なせるほど叩いて、加減を知らずに、本人死なせたらアウトですわ。霊とか低級霊とか、言っても聞きませんわな。ですが、それに向かって叩く、水をかけるは、誰が引き受けるんだか分かりますか。

憑依されている人ですよ。これ、入れモンは人間です。普通に水に沈めたら、霊は逃げたとして、霊に気を取られて、引き上げたら死んでますわな。愚かな事です。そうじゃない、抜き方ってあると思うんですけれどね。

で、まぁ、私の中での魔女って言い方は、ほんのり統合失調症の香りのする素人インチキ代替療法屋さんなんですが、だからと言って、本気で魔女が、ただの統合失調症さんではなかった事実があるんですよ。

アーユルベーダーにね、この木の粉を飲むと幻覚が収まるってのがあるんですよ。現代医学では、その木の粉に含まれる成分と同じものが実は薬としてあって、ついでに言えば、漢方なんかでもそうです。結局、何だかんだ言いながら、成分ですから、成分的に同じものが含まれていたと科学的に立証されているんですよ。しかも、インドの凄く古い時代に、既にそういう人の対策を考えていた訳です。

奥深いのが統合失調症です。それ程、皆悩んできたんだと思いますよ。

で、まぁ、総括するならば、他害、自傷、倦怠感で動けない、身の回りも出来ない、もしくは、人を扇動できず、暴力行為で人を動かそうと考える時点で、既に病気です。ですから、病院に適切に行く事と、そこまででない人は、この感覚は趣味であるとして、「見えた情報とかを、無理に共有しようと人に強要しない」事。適切な場があったら、大いに話してください。

ただ、「いつも自分の事は客観的に見てください」ね。身なりとか、言動とか、態度とか、みーんな出るもんですから。


僕と病と霊能者と その4 「人格障害」

こんにちは。

人格障害ってのは、結構、統合失調症より現実的に、宗教のカリスマとかになりやすいです。治らないと言われていますが、根気良く治すだけの本人に「病識」がないのもひとつです。大体は、根深い劣等感を持っていて、自分がきちんと適切な評価をされていないという他人評価が低いと考えています。で、妄想型の人にありがちなのは、「自分には非凡な才能がある」と考えている事です。

誇大で他罰的なんですが、自己評価が凄く高いんですね。プライドが恐ろしく高い。だから、中々コミュニケーションも取り難いです。おだてて、大上段に置いておく姿勢が、ちょっとでも周りに欠けると、凄まじい勢いで「攻撃」してきます。その攻撃姿勢があまりに、サイコパスのように、嘘をついて突き通したり、周りを固める嘘をつくとか、まぁ巧妙な人が多いです。これまた、精神疾患のひとつです。

ただ、一応、個性だという点で片付けられています。個性にしては、他害が激しいので、周りが困るのが問題点です。ついでに言えば、分裂病気質の人格障害者に限っては、人づきあいや、そういうモロモロが苦手です。ですが、学問などの場に置いて真面目に非凡な能力を発揮する事もあります。要は適材適所です。

ですが、感情のジェットコースターと言われるほど、情緒が定まらず常に不安定です。で、自分が望んだものは皆与えられて当たり前(全能感)って概念があるので、「無理」って誰かが断ったりすると、凄まじい攻撃力を発します。

押し売り的なスピリチュアルの人に対して、私がいつもファビョって(挙動不審)見せるのは、この人達は、逆上するとTPOを気にしないで攻撃を仕掛ける癖があります。屁理屈で論破しきったと思わない内は、この人たち絶対に帰りません。怪しげな物事を行うにしても、回りも一切気にしません。だから、この人達に諦めてもらうために、何時間でもねばって、挙動不信行為を続けます。すると、大体は、自分より下で、説法する程の人間に値しないと認識して、解放してくれます。

ついでに言えば、思い込みが激しく、自分の領域は頑なに守って柔軟性に非常に欠ける部分があります。もう一つ、駄目出しするとすれば、安易な道に流れやすく、本来欲しい地位に対し、努力しないで「非凡さ」だけアピールする事が多いです。ですから、医者になりたいと申して、医学部の試験にさえ受からない。けれど、自分は医者でありたい、医者のやる事は自分より劣っていると考えます。法律に関しても、法学部/法科大学院に入学する為の試験さえ、全く分からない。けれど、自分は法に詳しいと申します。どちらの資格も、国家試験に受かるのに、相当な量の暗記が必要な資格です。で、その暗記をして資格試験を受けての資格にも関わらず、資格を取った「後の行為」について自分は出来る出来ると、言い出すのです。

まぁ、巷の療法師さんがそんなとこかな。医者という資格試験の意味について馬鹿にしているんですが、いざ、あなたがやってみれば?と聞くと、以外に「あーいえば、じょうゆー」みたいな屁理屈論で、要は「やる気がないから出来ない。」と申します。やる気って、医者になる子達は、やる気もやらない気もなく、ただ教育されて受けていくので、6年間って重みは大事なんですよ。ただ、その後の指導がひどいのはね、こりゃ、製薬会社の利権であったり、きちんとした教育プログラムになっていない点があっての課題だと思いますが。やる気があっても、やらない気でも、「出来ない」と答えているのは、彼らは全能感だけしかない察してチャンですから、汲み取って上げるべきだと思います。

で、攻撃力がある人から、依存する事で人におんぶに抱っこをしようとする人、まぁ様々な人がいるんですよ。個性ってそんなもんですものね。ですが、基本的に、他害が発生する時点で、困り者だって事は、言わずもがなの公認になるんですよ。メンドクサイ人種であるのは事実です。

ついでに言うと、彼らは常時、自分の餌になるような人を探しています。弱っている人に必要以上に優しくするのもそうですし、自分に頼られたいとか、自分が依存したい人をいつでも探しています。何で探し続けるかって言いますと、あらかた本人の周りの人は、「逃げちゃった」からです。ひどい場合だと、通勤の電車の中で探すとか、行きつけのレストランで探すとか、くもの巣のように「ヒーリングサロン」でお待ちしているとか、霊能者のように数珠持って待ち受けるとか。
もはやそうなると、安心して落ち着ける場所がないじゃないかと申しますが、弱り目にあたりめ(笑)、の、あたりめ的な存在ではあります。

しかし、彼らが、絶望し孤独の中に居り、劣等感に苛まれて、自分自身を「世の中が有効に使わないのは、世の中の損失である」と言い切る当たり、深い悩みはあるんですよ。

世の中に使っていただくんじゃなくて、自分自身は、自分が使いこなしてこそ楽しいツールなんですがね。






「全能感」と、統合失調症の持ちやすい「万能感」とは、違います。統合失調症の場合は、万能感で、試験勉強をせずにとりあえず、近い日程で「試験を受けに行く」という所にポイントがあります。

僕と病と霊能者と その5 「ドメスティックバイオレンス」

こんばんは。

基本的にスピリチュアルに興味がある人は、ドメスティックバイオレンスの被害者である/あった経歴があります。以前、理由なき暴力というエントリで書きましたが、日本だけではなく、欧米にもよくある事です。それが、親と子という立場から、恋人と自分、配偶者と自分、結婚した先の姻戚関係と自分、まぁ、自分を囲む人の中で、小さい「家」という区画に入る人の暴力を、ドメスティック・バイオレンスと呼びます。国内線を、ドメスティックと言いまして、国内国外で分ける人もいますが、要は、区分けが出来る家族、家がらみで、このように申します。

虐待は、まぁ、DVだと言い出すと、どんなものが当てはまるのか、気になります。暴力って一言で言いますが、女性は致命打を与えない代わりに、言葉での暴力や、引っかいたり噛み付いたりってのが日常的にあります。致命打に結びつかないのは、体力差もあるでしょうし、体格差もあるかもしれません。ですが、圧倒的に、男性からの被害が多いのは、男性からの被害は、どういう訳か表沙汰になりやすい犯罪行為に結びつきやすいのです。それだけ、致命打を振るいやすいんです。

一般定義では、家の中でだけ、男性が暴力を振るって、女性がそれで逃げ出すって事象が多いでしょう。ですが、女性も結構暴力が多いんです。女性の場合は、言葉で相手を扇情させ、相手が、どうにも我慢できず力技に出ざるを得ないほど、徹底的に人格否定をして傷つける場合があります。男性が逃げても追いかけてくる場合があります。

意外と、本人が危害を与えている自覚が全くない「暴力・虐待」が多いのです。

ついでにショッキングケースで言えば、家庭で暴力を行う際に、徹底的に「服から見えない部分」を叩きのめすってのもあります。ひどい行為になると、同じ場所ばかり狙って、火傷をさせる人や、見えない場所の骨を折る奴もいるもんです。反対に、優しい態度の中に「相手に依存をさせる環境に相手を追い詰め、徹底的になぶり倒す」優しい暴力もあります。Feederなんかそうです。やせた旦那さんと異様なほどに太った奥様や、その反対の組み合わせなどいます。

基本的にDVは、孤立させる、監視・経済コントロール、脅し、心理的虐待、性的虐待、肉体的虐待が当てはまります。

で、DVの中に、暴力行為を続けながら、心で「自分から逃げてくれ、自分が凶犯罪を起こす前に逃げてくれ」と嘆く人もいます。傷つけられるのが怖いから、取り急ぎ先に傷つけるってのもあります。結局、自分の中のキャパシティが小さくて、不安要素を溜めて置けない性格で、依存性が高いのですが、こういう人は、自分が人に危害を加えるほど、病的だという病識がないので、厄介です。

また、別れた暴力男からメールが来たり電話が来て、拒めない女性が多いのですが、大体そういう女性の心には、「この男を見返してやりたい」欲望があります。
で、見返して、最後にストーカーから殺されるより、傷つけられてぼろぼろになるケースが多いです。そんな男より、自分の評価を上げてくれる人と会話したほうが楽しいと思います。
基本的に、こういう暴力男は、「拒まれない」という絶対的な自信が何でだかあるんですよね。その自意識過剰に、無闇に張り合うと、ほんと怪我をするんで避けてください。あなたを「昔にフラッシュバックさせ、混乱させてくる」のが、こういう男で、支配欲が異常に高いのと、物欲が高いです。あなたをモノだと思って支配したがるのですが、実はそういう行為に依存している重度の依存症でもあります。依存される前に、逃げてください。

殆どの人は、自分がDVの加害者だと思う気持ちがないんだと思いますが、言葉でも態度でも、人を傷つければ立派な加害者です。程ほどを心がけ、ストレス発散は、「人に向けてする」事や「人を支配する」事で解消するのではなく、もう少し健全な方角に向いて欲しいと思います。
また、被害者は、配偶者暴力相談支援センターに連絡し、逃げ先を確保してください。また、あまりにひどい怪我をした場合は、診断書をこっそり取って置いてください。被害にあって精神疾患を患った場合も有効です。

最後に、親が子に行うのもDVですが、親の心理的虐待、肉体的虐待、過干渉、ネグレクト、性暴力、パワーハラスメント、もそうなんですが、

「DVの目撃」

も立派なDVにあたります。
こうした家庭の子供は、心身に発達障害を起こし、性的加速が起きやすいです。基地となる家庭が不和だと、落ち着きがなくなり不安定になります。対人トラブルも起こしますし、信頼感が築きにくい、ついでに言えば、自己評価が極端に低くなって、自分を守らない子になったりします。つまり、被害者の我慢が、「新たな加害」を生み出すのです。

配偶者間や、恋人間も起きますし、同棲中でも起きます。
身を守れるのはあなたしかいません。親族が世間体を気にし、事なかれにしたがる傾向はありますが、生命の危険性を感じたり、健常な社会生活を損ねるようであれば、異議を申し立ててください。

どっちみち、「正論」は相手を逆上させるにはいいのですが、相手を説得させるには足りないモノがあります。あなたの行動力が、全てを補います。よく考えてください。


僕と病と霊能者と その6 「依存」

こんにちは。

覚せい剤ってのはやった事がないんですが、レポートを読む限り、「万能感」と「多幸感」に溢れるのが素晴らしいらしいんですね。ナチュラルにハイテンションで、日常で軽くトランスに入れる私は、金を払ってまで、トランスに磨きをかけたいなんて思えないので、全く縁がないんですが、詳しい事は詳しいです。

まぁ、「万能感」って感覚だけ万能で、右脳ワークにはいいんでしょうけれど、「記憶や暗記試験」とかには全然発揮されないと思うんですけれどね。それ故に、宗教団体で、薬剤を使うのは、手っ取り早い奇跡を、与える人/受ける人の努力なしに体験できるから乱用します。

でも、クライアント自身が感じる奇跡にしても、頑張って見た神の領域と、薬剤で見る神の領域とは違います。前者は、自分自身で、自力本願寺で見る奇跡。後者は、他力本願寺で見る奇跡。全く、心構えも違いますから、手っ取り早く、努力せず見れたその領域に対し、もっと見たいと思うのは当然です。ただ、覚せい剤は弱いので、どんどん耐性もつきます。無論、覚せい剤だけではなく、睡眠薬も、天使ワークも、遠隔もそんな様なモンです。自分でお金を払って、得られるプチ奇跡体験には変わりがないのですから。

ただ、天使ワークも、遠隔アチューンメントもレイキも、その後少しずつ脳内物質の出方が変わってきてしまい、感覚敏感になりやすくなります。全く感じない、で済んでいればいいのですが、心霊スポットに何日かいて精神破綻を起こした剛の者がいたり、刑事がいたりする限りには、どの道、どっちにしろ、「ようこそ、ここへ。遊ぼうよ、パラダイス」には変わりがないと思います。

で、私は、基本的にこういうモノを全て現実逃避の一環とする趣味であるという明文を表記しています。どの道、こういう非現実と言うのは、日本によくあった、ハレの日とケの日の感覚と一緒で、どこかで祭りでもしなきゃ、普通の日常生活、ストレスがたまってやり切れません。昔から、祭りってのはそういう息抜きの場ではあったんです。

で、占い師とか霊能者とか、非日常ですからね(苦笑)。ある意味のエンターテイナーで、自身のストレス解消に使うんだという気合で挑んで頂ければ助かるのですが、現実逃避が過ぎると、今度はそのツールに依存します。

煩いようですが、覚せい剤は身体的依存はないと、医学的に申します。ですが、覚せい剤依存精神病というものが存在し、覚せい剤をやめた後に発症するケースが、昔から日本では、確認されています。実際、フラッシュバックがきつくて、止めても何度も施設へ入る人もいます。こういう、「意思とは無関係に発生する身体症状を止めたくて乱用するケース」を身体的依存と申します。

覚せい剤だと、身体的依存の大きなところは、「万能感」を得て、それが萎んだ後の「虚脱感」に苛まれてしまう所ですかね。アルコールだと、ほんと、翌日虚脱感が出ますね。

精神的依存と言うのは、「万能感」や「奇跡」が忘れられず、あのハッキリ研ぎ澄まされた感覚をもう一度って事がそうです。で、恋愛や不倫をする人もいますが、彼らの恋愛中毒は、精神的依存に所属します。博打もそうです。「行動依存」と言えば、リストカット、オーバードーズ、セックス依存、アルコール依存、虐待も含まれます。

つまり、結構世の中、バランスを取ろうと思っていても、依存度が高くなってしまいがちで、それにてバランスを崩してしまう人が多い訳です。虐待も、している人は依存です。人に依存されたいと願って行うその行為が、既に依存を発している訳です。

非日常というのは、私達に強烈なショックを与えます。また、甘美な感覚も与えます。それに対し、最初に与えられたショックを乗り越えると、それ以上のショックってのは、普通の生活には見当たりません。で、ショックを楽しんで乗り越えていく内に、ショックではなくなってしまいます。そうなると、非日常ではなくなります。

ですが、自分で苦労して得る非日常は、日常となっても何ら問題がないんですが、「他者を害したり、自分を害したりする非日常」は、凄まじいショックです。衝撃です。故に、依存度が高くなります。何故かと言えば、自分自身だけの力では決して起こせないショックだからです。相手があって成立するか、自分の肉体があって成立するショックだからです。また、ショックを受けに行きたい衝動ってのがあって、そこに現実逃避を見るんです。

不倫とか特にそうなんですが、殆ど霊障ってケースはありません。霊障の人は、本当にそれを祓うと、スッキリして二度とそういう気が起きないものです。ですが、依存の場合は、その衝撃を自分にわざと課して楽しんでいる訳ですから、これは祓うと言った問題点ではない、霊障ではない奥深さが、本人の心に潜んでいる訳です。ですから、霊障かどうかの判断というのは、極簡単につきます。で、他に非日常なショックを見つければいいんですが、中々、そういう衝撃がありません。

だから、そのままそう言う事にのめってしまう事を依存と呼び、精神疾患の中で、病的に繰り返される、「他害/自傷」を病気と認定し、適切な治療を求められる訳です。

で、不倫のケースですが、不倫している人を霊能者に突き出して祓ってもらって、しばらく大人しくなったとなると、今度は、突き出した人が、何でもかんでも霊能者に頼り始める事もあります。
不倫は、「行っている人の社会生活を破綻させます」が、同時に「行われた人の社会生活も破綻し、それによって心神耗弱してしまい、依存に陥る」というケースもまま、多いのです。

それ程、自分だけで楽しんでいるはずの、趣味の域だったはずの非日常が、周りを囲む他者に害を為していた事はよくある事です。だからこそ、「周りに、悲惨なPTSDやトラウマを残すほどの過度な衝撃」を「法」や「常識」や「スピリチュアル」で取り締まり、「未遂」に防ごうとするのです。

ちなみに、セラピストは、ハードな件を聞くと、それだけでトラウマが増える事もあります。救済感を捨てるのが一番なんですが、セラピストも依存の目の前にいるのは事実です。だから、大上段マイライフ♪っつーのは、一番縁遠いところにあるんですね。


僕と病と霊能者と その7 「器質性精神障害」

こんにちは。

器質性精神障害という言葉があります。まんま、最初に原因が心やストレスになかった場合の身体症状から発する精神疾患を申します。誘発の病気と言えば、、ムチウチから、認知症、パーキンソン、頭部外傷(特に前頭葉)、中毒、脳梗塞、代謝及び栄養障害、膠原病(代表的なのはSLE、ベーチェット)、内分泌障害(甲状腺や下垂体、視床下部、副腎等)の病気より、精神疾患が発見されて、そちらも重要な治療対処をしなければならないのです。更年期も、産褥期も、要注意です。ホルモンが崩れての身体症状から、鬱や、虚脱感に陥りやすいものです。特に、産褥期は、大事だと言われています。この時期の発症をそのままにしておくと、大きく後で躓いて(つまづいて)くるケースがあると言われています。

特に、前頭葉を打ったとか、頭を打った事は凄く大事な事です。それによって脳が損失を受けると、見えない所で、発症するからです。私は、割と幼い頃から、脳波を測定されるとか、CT、MRIってのは日常的で、ついでに言えば、隠れ脳梗塞の後があります。で、これらが、起きる場所によっては壊滅的なダメージを精神に背負う事となります。

で、問題はね、身体症状が抜けても、精神疾患が残るケースだからここに挙げられているんです。特に更年期障害は、更年期のホルモンのバランスに寄るのですが、発症が全く画一的ではありません。人によって、直ぐ治まる場合と、長引く場合があります。その時、ホルモンバランスはとっくにバランスよくなっていても、精神疾患だけ残ったと言う事になります。基本的に、そんなことを言ったら、事故にあって外傷は治ったけれど、PTSDが残ったのは、精神疾患かと聞かれれば、医学上では精神疾患です。

ですが、精神疾患を元々、よろしくないものだと、私達は認識しがちです。精神疾患は甘えであるとか、下手をしたら、拘束されると考えます。で、極端なケースであるとしか答えようがありません。

人間はみな未熟な生き物だと私は捉えています。肉体的未熟さも成長して熟す訳で、精神が未熟なまま現在に至るのは、今も成長過程の一つだと考えてもいいと思っています。精神に関して、人々は異様なほど敏感なんですが、大体、今の教育プログラムを生きてきて、そんなに果たして精神が、成長し、熟すって事ありますか?

ないですよね。普通に刺激の少ない生活を送れば、それはそれだけ、精神が熟するのが遅れるのは無論当然の事です。引きこもり、人との係わり合いを極力避け、そうやって生きてきて、確かにある方々は、それでも偉大な業績を残すんです。ですが、一般的な私達は、刺激が多い人生を無理して送る必要はないんですが、多少の刺激で非常に傷つき、そこで、悩んだり、気分が優れなくなるものです。

自己愛人格障害さんやサイコパスが周りにいて、通常の精神状態を保ってられるとしたら、むしろ、そっちの通常の精神状態を保てる人の方が、問題なんじゃないかと思えるのです。ですから、外的刺激に対して、ある程度精神的にダメージを喰らうのは、極当たり前の事です。ただ、外的刺激がなくなっても、健全な社会生活を損ねる精神状態に陥っているのは、これは、病への一歩だと言う事で、器質性精神障害というのを挙げました。

ただ、見た目は健全な社会生活を送りながら、内部が歪んでくる場合もあります。で、こういった場合に、きちんと自分の心の中で、自分はどう痛いのか、どう辛いのか、また、その辛さは「何処から来るのか」。きちんと、認めるという事は必要です。基本的に、人は自分に甘いですから、まさか「怠けたいんです」と認めたいとは思わないと思います。ですが、怠けたい自分を認め、人に考えてもらって、ただついていこうと思っていた下心を認め、依存体質を認め、甘えたい気持ちを見つけ、現実逃避したい気持ちを認め、そこから自分ができる治療も始まるのだと思います。

ですが、自分で治そうと思わない限り、身体疾患からの発生は、中々治りにくいです。外的刺激を受けた自分を、いつまでもかわいそうな被害者だと捉えるのは個々の価値観です。ですが、いつまでも、かわいそうな私では、一歩も前に進めないのだという事実を本当は、皆さん知っているんだと思います。
私であれば、確かに、不条理な外的刺激が多く、現在も相変わらず、身体障害者手帳を維持できるほどの不条理さです。ですが、その不条理さに嘆いている暇は、全くありません。ですから、そういう意味で、乗り越えていくというワークが、器質性精神疾患には必要です。

受けた傷は、治りません。過去のあの日にはもう、どうやっても戻れません。過去のあの日であれば、普通に出来た事を、奪われるのが事実なんです。で、誰もが、奪われ続ける存在でもあるのです。
その中で、奪った相手を憎んだり、奪った事象を憎んだり、奪った自分を憎むのもあると思います。ですが、それを、乗り越えて、障害があるけれどその中で、「柔軟性を持って生きる」「限りのある有限リソースの中で、自分が少しでも生き易くなる」事を目指して欲しいと思うのです。

まぁ、交通事故だけではなく、犯罪の被害者は、特にそういう思いが強いと思います。器質性精神疾患も何もかもそうですが、感覚に「自身が、不快感を過敏に捉えて、自分が身動きが出来なくなった時点」でノックダウンです。

私だったら、感覚過敏でアセロラが食べられないんですが、それでも日常生活で、美味しそうだったからってだけでうっかり買っちゃいます。買った後、「すげーまずい」って顔をゆがめながらそれでも飲んでいるところを見たことのある人は沢山いらっしゃると思います。で、私は、あんまり感覚過敏だから、あれはだめ、これはだめ、とか考えないんですよ。だめだめ、で選択肢を狭くしていくのは、仕方がないんです。ですが、基本的に、生き死に関係しないなら、そんなに気にしないのが私の現状です。

私は、外的刺激が多すぎる生活を送り、現時点でも、大学に4日行って、息子たちの面倒を見て、それで、3日間程軽く狭心症の発作で、転がりまわっているような仕方のない人間です。ですが、私は、それを知った上で動いています。鑑定予定を入れる際に、「大学から帰ってきたら、3日は使いモンにならないから、予定をこの辺から」と申します。で、苦しくなるのを知っていて行くのかと聞かれたら、苦しくなる事に遠慮して「やりたい事をしないで太々生きるのはごめんだ」と思っています。やりたい事をやって細々と生きる面には、自分のストレスが発散できているので、痛いのも範疇の内です。

やりたい事をやらないで、太々生きてしまい、不平不満で体がこわばるのが、普通なんです。で、怪我や障害を負っている人は、元々あった選択肢が狭くなった事を論って(あげつらって)も仕方ないんです。選択肢が狭くなったら、狭い時点で考えるのです。それが、多分器質性精神疾患を乗り越えるコツだと思います。

よく、若い子が、自分は汚れたとか言いますけれど、それも、自分が生きてきて、選択肢がどんどん狭くなってしまった事に起因すると思います。器質性障害にせよ、精神疾患を発症する理由が、普通には、画一的な外的障害ではないからこそ、これだけ自分の心が騒ぎ立てるのです。神に愛されたと慰めるしか他にないのです。

画一的な代表例は、テロとか地震です。皆、衝撃を受けます。どの道、外的障害にどれ程柔軟性を持って対応するかが問題なんです。

これから、選択肢が狭くなった事を、どう自分の中で昇華していくかが前向き路線であって、原因だけに固執し「誤診」と騒ぎ立てるのか、それとも、自分の中で認め昇華して、治っていくのかが、病のままでいるか、治るかの分かれ道だと存じます。




精神医学は、教科書だけ買って読んだだけじゃ分からない問題があるんです。そういう為に、金払って習いに行くんですね。講師も、教科書なんか読みませんもん。教科書を読んだ上での、更なる知識ですわね。それが、金を払って習うもんだと思います。だから、医学部も同じ。法律も同じ。教科書を説いて過ごしているわけではない、付加価値があるんですよ。

まぁ、そこを誤解している人は多いかな。

生活の木でカウンセリングを学んだ人と、大学で系統だって学んだ人の強みの違いはそこにあるんですよ。んじゃ、有名大学がいいかって言うと、学校の特性によると思います。私の在籍大学は、グリーフケアや、犯罪を受けた人のショックを和らげる所に強みがあったんです。それは、選んでお好みの所にどうぞ。

僕と病と霊能者と その8 「依存」補足

こんにちは。

では、今まで軽く見てきたところで、宗教とは、霊能者とは一体、皆は何を求めているのかって所に入ります。

宗教で、何かをしないと気がすまないのは、精神医学では強迫概念と呼びますが、基本的な考えは、「行動依存」です。塩風呂ってのは、実は循環を良くし、酒の効能についてもここで学んできた訳ですが、毎朝、無茶な量の線香を焚き染めるってのは、これは「行動依存」になります。要は、そういう行為によって自分が救われる訳です。

ですが、これが、行動依存とだけ言えない事もあります。それは、この行為によって少なくとも、自身の感覚的に不快感が消えれば、問題がないのです。依存の場合は、その行為が既に毎朝のノルマです。で、しない日があっても問題がないのに、しない日に強烈な「自責」の念を感じる時は、既に「依存」です。

霊感がある程度あって、祓うだけの気力もない時に、私も線香を焚くのはいいと思います。ですが、ワンタイムであって、継続的にずっと焚くんなら、私であれば、ビャクダンと沈香の香りに既に飽きている(すいません)ので、祓う系統のアロマオイルを焚くと思います。好きな香りでいいんですよ。ただ、これが、本気で先祖供養というのであれば、違います。

実は今の私は、余り線香を焚きません。理由は、家族事情です。怪しくないスピリチュアルは、強いて言えば、一般人に受け入れられやすいセオリーで、一般人受けする、手軽な事、安い事が、絶対条件です。ですから、こういう事を行っています。

私自身が、真っ白な黄泉路行きの服に、水晶の数珠を下げて歩いていたら、まぁエンターテイナーとしてはありでしょうか。ですが、これで、一般生活が送れるかといったら、Noです。ことごとく、現実生活に沿う姿勢でなければ、自分も続けられないし、人も続けにくいと思います。まぁ、線香って言うと、和ですが、インセンスって言うと、何だか急にニューエイジっぽい響きになるんで、固めていないオイルだって、まぁ、要は、香りを使うと言う事においての、クソみそテクニックの一つなんですけれどね。

で、宗教と言うのは、意外と需要と供給があるんですよ。こういう会に所属しますとね、スケジュール表が、まず埋まりますよね。これって、人の心に結構な平穏をもたらすんですよ。要は、人は心の平穏を求めて宗教に行くんです。で、最初の一手は、誰にでも心の平穏をもたらすんです。スケジュールが埋まる事を馬鹿にする人もいるかもしれませんが、社会と繋がっていたい人にとっては、必需品です。
次に、皆が一体感となる、「行動依存的行為」を勧めます。これで、どうだったか、というのを話し合うのはとても大切で、ケーススタディと同じようなもんです。共感しあうんです。
で、最後に、この感動を、もっと多数の人と共感したいと思って強要しに行く訳です。で、理論的にはそうなんですが、経理的には、どれも実は、悪意を持とうとすれば出来る「裏」のある行為です。

ですが、どうしても悪意のある第三者を弾いて伝えたいモノは、やはり対面で知らせるしかありません。ですから、宗教は必ず、布教は対面ですし、勧誘も対面です。電話で誘い出しても、通わせるのには、対面で説得です。対面って結構、怖いと思われがちなんですけれどね、勧誘相手は、もっとリスクを負って勧誘しています。実際、自分がいいと思うものを勧めるのには、マルチや健康食品もありまして、こういう方々も、ネットショップではなく、必ず講演会をしてその帰りに売ります。

そういった意味で、大きく、宗教と言うのは、「顔が見える安心感」で、人に心の平穏を強要して勧めていく訳です。

で、その顔が見える安心感の中で、結構霊能者って、非日常的要素盛り沢山なんですが、結構自分がなってみると、同業者がイタイ面があります。如何に、依存させて、金を搾取するか。しかし、その中には、依存する事によって救われる人がいるのも確かなのです。本来は、カウンセリングに通って、喪失感を癒していくべき人が、宗教にはまるのはよくある事です。それ程、喪失感は、本人に拭いきれないトラウマを残し、人は簡単に救済されたいと願い、結果、宗教というものが、「ゆっくりトラウマを癒していきましょう」と手を差し伸べる。悪い事実じゃないです。ただ、最近の宗教は、金に煩いだけで。

依存したい側には、沢山のストレスがあり、どうしても自力では、拭いきれないストレスもあります。ですから、その自分ではどうしようもないストレスを、認め、宗教でも霊能者でも占い師でも、上手に非日常の演出として使う分には問題ありません。ですが、問題は、非日常に対し、過緊張し、過度に金銭を差し出さなければならないようになった時の事です。人は、集団になると、実は「集団心理」という、個別ではありえない考え方をしてしまいます。ですから、よく、見極めて使ってください。
元々は依存したい側の、考えないで人に任せたいという安易な下心に、セラピストの過剰防衛した挙句の果てと、その下心につけ込むビジネスがあるんです。ニワトリが先か、卵が先か、そういう元極論では、どっちもどっちです。

セラピストもクライアントも、元々の「素直な願い」を、今一度見直して、自分で選択すればよい事です。その上の依存などの事情は、選んだ自分自身の責任の下にお使いください。


僕と病と霊能者と その9 「体に気を配れ」

こんにちは。

精神疾患、全て含めて言われる言葉は、自分に甘すぎるって事です。頑張れって言葉を、外野が言いたくなるのは、その甘さが、外的障害から自分を守るのに十分発揮されるからです。つまり、甘いところが外から目立ちすぎなのです。厳しい所をこういう人は持っていますが、殆ど外の人から見たら、「水面下の水かき」以下のようなものです。

実は、私、滅茶苦茶自分には厳しいです。食事や、障害故に、様々なコントロールの制約の中できっちきちに暮らしています。ですが、実は自分に甘いところをちゃんと持っています。

殆どは人の目に触れません。触れているのかな。対面でお会いした人は皆さん、おっしゃるのですが、私、結構な物欲主義です(苦笑)。一通り、今の自分の生活で持っていなくてはならない物は、一通りそろえています。これは、自分では母親として恥をかかない為とか、息子らの学校にあわせて色々と持つのは、「制服」のようなものだと思っています。最低限しか持っていないんですが、最低限が、最低持っているといいものだけは、揃えてあります。で、自分でも、百貨店に行って見るのは好きです。

スピリチュアルは、物欲主義を嫌います。ですが、伸びっぱなしに伸びた5年物の髪とか、手入れされていない髪や、体型が太りすぎたために、ゆるゆるな服を着ている人は多いです。大体、右脳だけで暮らしているであろう、そういう方は、副交感神経優位な外見、みなりをしている事が多いです。別に悪いことではありません。

ですが、どうしても、精神世界グッズに結構な額を費やし、ワークショップに参加し続け、相当な金額をつぎ込んでしまったが為に、ご自身の身なりの手入れが、おざなりになっている人が多いです。表立った物欲ではありませんが、ワークショップの修了証がいたずらに多い人は、やはり、ある意味の物欲だと私は思います。

私が知っている外国の上流階級の方は、皆、細いです。強い意志の表れと申しますが、その通りです。会食のお付き合いで、食べ過ぎて1000キロカロリーをどうにかしようと、翌日ジムに来る奥様が多いです。で、凄く強い意志です。そして、表面だけ、「何にも気にしていないような優雅さ」を持っています。そして、「必要なものを必要な時に持つ」事を知っています。つまり足るを知るわけです。

ですが、反対に、精神世界の人は、「自分らしさ」の追求の為に、身なりはきちんとせず、礼節も心得ない人が多いです。挨拶一つ出来ない人が、他人に礼節を求めるのは至極滑稽です。外見が美しくても、言っている事が下品な人はよくあります。一生懸命、誘いうけしているのも見られます。技だけ覚えて、精神的にも未熟なままです。

人は霊能者や精神世界の人に、「人格者」「大覚者」を求めたがります。しかし、実情は、「霊しか能がない人」が多いのも事実です。ですが、実際、自分にゆるゆるに甘い人が、元は生きていた人である霊の説得に、何が出来るでしょうか。あなたが、もし説得されるとして、自分にゆるゆるな人から、「あなたはこうした方がいい!」と断言されて素直に従えるでしょうか。そうではないのが、事実です。

ACのワークショップをしたがる人がまんまACであるのはよくあることです。これを心理学で「救済感」と申します。自分が自分の人生に行えない事を、他者に行わせて、「自分を救おうと思っている」のです。

真の能力とは、程よい交感神経、副交感神経のバランスによると私は思っています。能力能力だけではなく、体をメンテナンスする事は、魂の健全さに繋がります。ですから、甘い人は、精神的にも甘いのでしょうが、肉体的にも甘いのです。痛いのを痛いままにし、その自分に酔う、また焦燥感で滅多やたらと人を傷つけて歩く。人を騙して金を取る。そういう人が精神世界に多いのは事実です。自律神経というのは、副交感神経だけではありません。交感神経も含まれますから、両者をバランス良く使い、程よい甘さと、程よい辛さの中にいなければ、こんな仕事は勤まりません。

私は、今も不条理の中にいます。ですが、私は好んで身を置いています。制約に縛られて、自らの可能性を狭い状態に置けば、楽で太くて、甘い生活が送れるとは思います。ですが、世の中は、不条理を乗り越え続けるのが人生です。

私は、そういう意味で、自分が制約の中で、不平不満だけを抱えるのはごめんです。ですから、バランスと称して、物欲にも走りますし、本も読みます。で、楽で太い生活を送る時が来るのは、私が霊能者をやめる時だと思っています。私の主看板は、霊能者ではなく、母であり大学生であり、学び続ける人間です。霊能者は、その副産物だと考えていただきたいと思います。

世の中、霊能者と名乗らないにせよ、頑張っている人がいます。あまりに多方面に緊張を強いられている人達には、積極的に甘い部分も作れと申します。ですが、甘い部分が多すぎる人には、積極的に辛い部分を見つめろと申します。

バランスが大事だと言う事です。

メンタルケアにだけ目を向けないで、体も大事です。痛みを取り、癒してください。心、肉体、魂の三位一体の健康を考えましょう。



僕と病と霊能者と その10 「ヒステリー(解離・転換性精神疾患)」

こんにちは。

ヒステリーって言うのは、基本的に心に抱えたストレスを昇華できず、身体症状に出てしまった状態を表します。先日の器質性精神疾患が、身体症状から精神疾患を発生したのとは違い、心のストレスが、精神疾患として出ずに、身体症状に出る場合と、精神疾患と一緒に身体症状に出る場合とあります。

感覚過敏っていうのは、甘い酸っぱいとかから痛みまで本当に敏感なんですが、この感覚過敏に振り回されない状態が健全なケースです。ですが、時に、ちょっと胸が痛んだだけで、医者を尋ね、その医者が分からないとどんどん、ドクターショッピングをして歩く。絶対にあるはずだと思う。ですが、現象が本当に隠れているのはレアケースです。

私自身は、カテーテルを行った後、直ぐに背中の鈍痛や喉の痛みがあって、直ぐにもう一度見ようと医者は思わず、ずっとヒステリーだと言われ続けました。寝込んで、日常生活もままならない事から、結局、その一ヵ月後や2ヵ月後に、カテーテルを行ってもらえたんですが、術前日まで、医者は「気のせいですから」と言い続けましてね。で、カテーテルで、狭窄を見つける事4回。私の症状は、実は心電図には一切出ません。ですから、状態だけ見た医者は、私をヒステリーだと思うしかなかったのです。これは至極もっともな事です。
毎度、術後、冷や汗の医者に対し、カテーテルに持ち込むのに必死な私は、責める言葉すらなく、既に「していただいてありがたい」の領域でした。耐えに耐え忍んで、不条理の中で、やっと肺に一杯の空気が吸える。痛みがない。因果関係は明らかでした。
誤診という言葉が当てはまるのは、本当にごく一部です。現時点、訴訟に持ち込むケースは、他愛もないケースが多く、故意に隠した状態になる程のケースの立件は少ないです。

さて、これをヒステリー(解離性もしくは転換性障害)と呼びます。身体症状に出てきた場合、対処療法を求めますが、根治に対する療法を求める事があまりありません。つまり、今すぐ、これ取って。これで終わりです。要は、症状を癒してもらえる(やさしく構ってもらえる)所に本人の意向があります。
また、広範囲に及び、症状は固定していません。つまりよくコロコロ変わります。イタイイタイと泣き叫びながら、テレビのお笑いがついている時には、意外と忘れているもんです。ちなみに、心臓発作の場合は、こんな事ありません。痛い時は、お笑いで笑う余裕すらありません。症状がコロコロ変わる(易変性)もありません。

心気症状としては、些細な痛みを曲解し、「凄い病気にかかった」と思い込み、自分の納得いく病名をつけて貰うまでは医者を尋ねて歩きます。色々テストして調べます。まぁ、中にはカテーテルを行う人も、冠動脈CTを撮る人もいます。ですが、一応に、全く所見に見られず、結局、本人は「まだ解明されていない重度の病気にかかったのだ」と自分で自分を思います。心気障害ではなかった場合、どの所見でも明らかではないので、あなたの痛みは不定愁訴ですと言われたら、引き下がります。ですが、心気障害の方は一切引きません。

無論、「自律神経が乱れての不定愁訴」(心臓神経症、心因性空気嚥下症、過敏性大腸、過換気症、神経性頻尿)も、「神経衰弱」(易疲労性を強調し、精神的に能力低下を心配する)や、「離人・現実感喪失」(統合失調症は、実際に外が変わったり自分自身が変わったと思い込むのですが、このケースは、自分自身の主観が変わる為に、自分も他人も非現実に思えてしまう)ってのがあります。

で、問題はこういう人は、自分自身の現実が今、超えられないんだと言う事を認めようとはしません。現実のストレスを一切感じませんとも言います。そうやって、現実と向き合っているようで、実は向き合っておらず、その超えられない不平不満を、体や心に「転換」し続ける訳です。

サーノ博士やそれに関する文献を読む上で、非常に重要なのは、自身の怒りや緊張が、身体症状となって出やすいという意見であり、結局は、自分が現実の壁を越えられなくて困っていますと認めるところから全てが始まると説きます。

非常にその通りだと思います。
心理学の内観法というカウンセリングの手法があります。心理カウンセラーのカウンセリングは現時点も保険が利かず、5000円〜になります。ですが、本当に心の病を認めるには、6年間も学校に通って資格を得た臨床心理士(心理学の大学+大学院2年)の方が、どうでもいいような、なんちゃってカウンセラーよりは、誘導法が上手です。しかも経験豊かな人の方が、本人もこけ難く、安定感を得られます。

ですが、人は、それを心の倫理の方からの意見で聞きたいときがあります。そんな時にいつも世にいたのは、坊主であり司祭であり神父であり、霊能者であり、神職であったと思います。

不条理な仕打ちを、して返したい、早く相手に因果応報を突きつけてやりたいと誰もが思うと思いますが、その感覚に囚われているうちは、あなたが妄執の虜であり、あなたが病に陥る隙は幾らでもありえます。恨んで、怒って、憎んで、苦しんで、自分の体や心の健康を損ねる事は、相手の得する所であって、まさに自分だけが不利益をこうむる事となります。

しかし、不条理すぎる壁の前で、身体症状に出たり心気症状に出たりするのは、人間として当たり前です。その衝撃が強いと、今度はPTSDとしてトラウマとして悩み続けます。

人は悩める生き物です。また、外的障害にいつもいつも、試されてそうして生き残っていくのが、生き物としての勤めです。植物も、他の動物も皆同じです。

自分の現実を認め、受け入れてください。


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