こんばんは。
ちょっと重いタイトルです。
私はわりと、子供の頃「否定」されて育ってきましたね。それは現在わかるのですが、直感で感じた事をそのまま「口に出したから」でしょう。
あそこに行くと危ないとか、今日はやめたらいいとかって、理屈で言えるものじゃありません。足がすくんで、出かけられないことありました。親は私を「気分 屋」と呼びました。でも、子供ながらに出先で大事故があるとまではわからないので、足がすくむだけです。何度か、怒られましたし、出先でおかしくなったこ ともありました。
でも、今だって何か嫌な事があるとは分かるけれど、それがどんなものかはわからないです。ただ、嫌がった後、そのまま行かなくて良かったことが、「かなりあった」ことは確かです。でも、何度も親の綿密な計画を邪魔したので、多分相当にウザイ子供であったと思われます。
また、数字に強いのでかなり小さな頃から時刻を覚えていました。何かが起きたとき、即時計を見ていて、後で親が「あれ何時だったっけね」と言うと、「5時 35分」とか答え(正しかったんですがね)かなり、「お前は暇なんだな」と言われた事がありました。勿論、子供は普段、「年金や家賃について考えませんか ら、大人より暇なんです」(笑)。
私が大きくなって科学は進歩し、段々色々な事が解明されました。そうして、女性の一生の生理期間のことや、子供の性別は男性が決める事や、陣痛のトータル時間は20分とか、分かってきたわけです。
分かって解明された事は、私も今なら母に「あの時、こうでさー」と言えます。が、まだ時折、やっぱり、スピッツ・・・あっいえ、スピリチュアルなもんで、 不思議な発言になります。その内、私が年を取り亡くなる頃、また新たに解明された事が増え、「否定」された直感ものが、実は・・・ってことが増えると信じ ています。
今では気をつけています。
「直感で得た知識は、裏づけがない限り、迂闊に言ってはいけない」と知りました。
ブログは別ですが、リアルで、知人としてお会いした人には絶対言いません。ほとんど当たっているだけに、人は傷つきますから、言葉を選んで咀嚼してからそっと小出しに言います。それは、自分の身を全否定から守るためです。
朋
ちょっと重いタイトルです。
私はわりと、子供の頃「否定」されて育ってきましたね。それは現在わかるのですが、直感で感じた事をそのまま「口に出したから」でしょう。
あそこに行くと危ないとか、今日はやめたらいいとかって、理屈で言えるものじゃありません。足がすくんで、出かけられないことありました。親は私を「気分 屋」と呼びました。でも、子供ながらに出先で大事故があるとまではわからないので、足がすくむだけです。何度か、怒られましたし、出先でおかしくなったこ ともありました。
でも、今だって何か嫌な事があるとは分かるけれど、それがどんなものかはわからないです。ただ、嫌がった後、そのまま行かなくて良かったことが、「かなりあった」ことは確かです。でも、何度も親の綿密な計画を邪魔したので、多分相当にウザイ子供であったと思われます。
また、数字に強いのでかなり小さな頃から時刻を覚えていました。何かが起きたとき、即時計を見ていて、後で親が「あれ何時だったっけね」と言うと、「5時 35分」とか答え(正しかったんですがね)かなり、「お前は暇なんだな」と言われた事がありました。勿論、子供は普段、「年金や家賃について考えませんか ら、大人より暇なんです」(笑)。
私が大きくなって科学は進歩し、段々色々な事が解明されました。そうして、女性の一生の生理期間のことや、子供の性別は男性が決める事や、陣痛のトータル時間は20分とか、分かってきたわけです。
分かって解明された事は、私も今なら母に「あの時、こうでさー」と言えます。が、まだ時折、やっぱり、スピッツ・・・あっいえ、スピリチュアルなもんで、 不思議な発言になります。その内、私が年を取り亡くなる頃、また新たに解明された事が増え、「否定」された直感ものが、実は・・・ってことが増えると信じ ています。
今では気をつけています。
「直感で得た知識は、裏づけがない限り、迂闊に言ってはいけない」と知りました。
ブログは別ですが、リアルで、知人としてお会いした人には絶対言いません。ほとんど当たっているだけに、人は傷つきますから、言葉を選んで咀嚼してからそっと小出しに言います。それは、自分の身を全否定から守るためです。
朋
