こんにちは。休暇中に、霊に首を絞められても平気で本を何冊か読んできた、「豪胆で厚かましさ120%のヘタレお母さん」の朋です。中々、本をまとめて読む機会がなかったんで、風呂に入ってまで読んじゃいました。(その風呂も、妖気漂ってるなんですが笑)
さて、人間の中には理解不能な人間がいます。およそ他人と相容れない種類の人間を、「平気で嘘をつく人たち(People of the lie)でペック博士はこう語ります。「邪悪」と「虚偽」の心理学。自己正当化のために、あらゆる手段で相手を支配する。その自己正当化は、自己愛の過ぎ たる所以で、自分の内面を見る事が決してできない人である。
さて、心理学ではこのような人間をも含めてカウンセリングしていく訳ですが、人間が相手を理解できない一つには、その理解しようと思う人間が内面に何を 持っているのか見えないから理解できないので、カウンセリングはその真実を暴き出す事が肝心です。まぁ、霊能者の場合は、オプションで、その原因が霊障な のか、精神力が弱いのか判断できるのですが、大体は、精神力が弱いせいです。
自分の中身を見ると言う事は、案外簡単にはできないんです。理由はその中の自分の醜い感情にある本当の願いが見えるからです。大体こういう願いは、支配か 拒絶、でしょう。いや、非常に虚栄心等は、支配の最初の一歩であって、小さいもんです。それ以上に大きいのは、支配欲です。
子供時代が甘えられなかったからとか、後付の悩みを言う人もいますが、甘えられなくて苦しんでも、それを解消して昇華して、次世代を育てていく人がいる限 り、こればかりは、精神力の甘えにしか過ぎません。人を徹底的に振り回し、嘘をつき、肝心なことを言わないで、引きずり回す。まぁ、人格障害の人等は、物 凄いほど自分に関して人がどこまでしてくれるのか、試します。以前に話したとおり、人格障害の人の場合は、そのモノサシがやっぱり桁外れているんですね。 だから、1cmの思惑が、1メートルや1キロメートルになっちゃうのはよくある事です。
で、問題はこの支配欲で、徹底的に他の人の人格を破壊する人もいます。その中の一つの例が、「毒になる親」でございます。
こういう親は、自分だけよければいいと思います。で、自分の方面でしか物事を見ません。なもんですから、私の知っている例では、バタフライナイフが好き だった姉がバタフライナイフで自殺をしまして、その弟に「姉の自殺したバタフライナイフ」をあげちゃうという事が珍しいことではないのです。これがペック 博士の例では、「ガン」です。親の言い分は至ってお見事で、「あったからあげた」とか、単純であったりします。かなり金持ちの親でもします。最近ですと、 中学で給食費を払わない親が多すぎて、給食破綻となり、生徒は弁当を持ってくるか、お金を貰って購買部で買います。ところが、この両方とも持たせない親 が、比較的裕福で、教育水準も高い家庭に実在します。育ち盛りに弁当もお金もなしです。唖然です。
私の場合は、家庭が作ってくれない場合はですね、お金を貰える事はないので、前日から「米を炊きまして」、大きな握り飯か、アルミの大きな弁当箱にひたす らご飯を詰めて、ごま塩で食べるという離れ業とかしていましたが、今のお子さん方は、子供がするべき「サバイバル術」もしないで、されるがままの所が若干 見受けられます。
母が父の手術に動揺しすぎた時などは、私は都立高受験の日は、稲荷寿司にしてもらったんですが、食べてから深く後悔しました。それで食中毒になったんです ね。味付けも妙でしたが、午後の試験科目が、お腹が痛くて思考がまとまりませんでした。しかし、なんと言うことか、その年の理科の科目は、皆がそろって 100点が取れるようなテストで、ある意味救っていただきました。それからは、作ってもらうより、ごま塩の方が安全だとは思っております。事実そうして生 きてきました。
まぁ、そんな事がないにも関わらず、案外そういう家庭の子は、食事時にいなくなるんだそうです。私の父も私の主人も、昼ごはんを持たせてもらえない時期 (貧乏すぎて)がありまして、そういう時期は体育館に逃げたんだそうです。私は米農家出身の母の娘でしたので、米だけはあったんです。まだ、救いようが あったのかもしれません。
まぁ、支配したい親や支配したいセラピスト、支配したい夫、妻、支配したい・・・・・から、逃げ出さずに思考を失った人はかなり多いです。無意識では死を選ぶほどなんですが、意外と受け入れて「自我崩壊」にもつれ込む人は多いです。
問題は、その「自我崩壊」になった人はかなりの頻度でカウンセリングや精神療法をさせられるのに、問題の支配したい欲求が強い人はそういう対象者として見 られる事が少ないのです。彼らは毅然として、詭弁を雄弁に語り、如何に相手に対し自分が振り回されているかを延々と述べますが、その実は自分が相手を振り 回した結果だとは考えたことは全く無いようです。
性的犯罪を犯す人も、犯された人が精神科でPTSDの治療を何年も受けて立ち直れない傷を持ちますが、案外加えた本人は「他愛も無い悪戯だ」と称して悪びれません。
まぁ、こういう人を、ペック博士は「邪悪」な人と呼ぶわけですが、邪悪というよりは、自己愛の自己の欲求に極めて忠実な、理性の影で、自分の我をきっちり 通し、その間に、法律の関与を許さないある意味で言えば、犯罪者のようなもんです。自分の要求を通すためには、口手八丁で、掻い潜って、ターゲットを探し 出し、そうして慎重に破壊して歩くわけです。自分の心からの希望は一つ。「人を完全に支配したい」。
支配・・・・これだけで、親は毒にもなるし、夫や妻は、人が変わった様に殴りののしり、慇懃な態度の中に絶えず支配をする自分の優位さを、隠し持って相手 の自我を壊します。セラピストでも、依存したい人をくもの巣のように網を張って、待っている時があります。まだ、「依存しすぎるのよ!!!」って怒るセラ ピストの方が良心的です。そうではないセラピストは、根気よく中立に立って、相手が内観をするまで待っているか、それでなければ「巧みな言葉」に載せて、 人の自我を崩壊して支配しているかのどちらかです。
言葉を選べと申しますが、邪悪な支配したい欲望は、巧みな言い回しで相手の自信を失わせ、やる気を取り上げ、自分自身なしでは居られないように相手の精神 力を壊していきます。それを、宗教や健康食品やマルチでは洗脳と呼ぶかもしれませんし、DVでは、共依存と呼ぶかもしれません。何にせよ、強力な武器を後 ろ手に隠して、脅してなだめすかして、相手を壊して従わせるのです。相手にはもはや、思考などありません。完全に、Yesになるのです。
まぁ、私は、現在はこの支配したい人の駆逐艦なんですが、時折、頭を悩ませることもあります。こういう支配は、大人になると、「性的な誘惑」というものが つき物だからです。子供には単なる暴力にしか過ぎませんが、大人には、二人の合意でしか整わないケースが多いので、やはり「巧妙な嘘」を駆逐していくし か、その他に説得力はありません。
で、どうしてこういう人が精神カウンセリングを受けずに、「次の獲物」を探しに行って、残された人は長いこと心に傷を負うのかと申しますと、それは残され た方がどれ程依存したり、どれ程無抵抗であったかにもよります。つまり、「嘘のつき方」が余りに巧妙すぎると、大人でもやはり「見抜けない」ものなんです ね。熟練したペック博士でも、その人を見抜くのに時間がかかります。
その嘘は、逆に逆手に取ると、案外面白い結果を生み出します。まぁ、だから、そういう人に私が嫌われるんですが、それを徹底的に逆手にとって見ると実はそ の人は、「自分に自信もなく、誰かを支配して、その中で安穏としていたかった孤独な像」が見えてきます。その孤独に耐え切れない精神力の弱さが、この支配 を招くのです。支配ができなかったら、完全な拒否となります。まぁ、いじめでもそうですね。パシリに完全にできなかったら、無視ですもんね。まぁ、どっち かしかできないんですよ。究極の自己愛は誰しも、「孤独が怖い」んですから。
まぁ、その真実をどう相手に悟らせるか等は考えるのに無駄です。反省も自省もしないですから。してたら、救われる面もありますが、多くの被害者が心に長い こと傷を持つのは、「反省しない」「自省しない」つまりは「悪いことだと思っていない」相手の態度に失望しちゃうからです。
まぁ、自分の方面からの言い訳は弾丸的に出ますよ。で、こっちから射撃すると、いやその、盾の作りっぷりは、まるで大きな要塞並です。その日の差さない要 塞の中で、実は足を組んで座っている「小さな子」がこの方々の中身です。いつまでも成熟しない。いつまでも、拒み続け、自分に従うものだけを門に招きい れ、その暗がりで暴力行為を続けるのです。
この人たちは、失望したら負けかな。だってそうしたら、大きな大きな心の闇に囚われて、自分が落ち込んじゃいますからね。人を傷つけるのには何とも思わな くても、自分がほんの塵一つでも傷つく、磨耗するのは嫌なんですよ。だから、究極の自己愛。精神的には、サバイバーを遥かにしのぐ弱さになります。サバイ バーが精神力という武器を身につけてもこの方々は、丸腰では戦えません。丸腰だと負けなんで、大変にお気の毒で、大変に情けないある意味では、畜生道まっ しぐらです。
「傷つかないように、傷つけ回っている」そういう理論を理解して受け入れるには、教養が高い人が多すぎます。プライドが邪魔をして受け入れられません。そ して、自分に不利な事を、何度でも既成事実を作って、作れないときは、人を騙してまで既成事実を作って、「人のせい」に擦り付けます。教養が至って高い、 地位の高い人でも十分行いますし、教養が低くても、金持ちであろうが、貧乏であろうが、選民意識があろうとなかろうと、まぁ、誰でもするんですね。
結局は誰の心にもあるもんですから。
朋


