こんばんは。
せっかくだから書いておこうかと思ってね。芸術関連の上手な歩き方。
昔、音楽やっていましてね。まぁ、何にも大した業績はないんです。で、サンフランシスコに住んでいる時、ある一本の電話が全てを変えるんですよ。そ、ある 欧州のデザイナーが、イメージするミュージックが欲しいと言う。その人にインスピレーションを作りに来ないかと。
きっかけは、私が作ったイメージビデオだった。何でそんな人がそれを見たのか知らない。
で、日本のエージェントを通す訳ではなくてね。単身で挑んだんですよ。オーディションをNYでしてくれると言う。無論ですけれど、急きょ、NYまで飛行機 を取って、それで宿を取って、行ったんですね。主人が冷や冷やして、とにかく宿までは一緒になるように、彼もNYに出張を組んでくれたんですね。
で、会話なんてろくに出来ないんですよ。向こうのエージェントと、会話が成り立たない。欧州の言葉でさえ、おぼつかない。だから、辞書を持ってね。英語の 辞書も持ってね。んで、出かけたんですね。でも、オーディションでは、会話なんてあんまり必要なかったんですよ。相手の意図するところから汲み取って、曲 を一つのテーマにつき6曲位書けば良かった。で、幾つもこなして行った時、「ブラボー」の一言で、オーディションに受かるんですね。
で、帰りは、20ドル札握らされて、「これで飯を喰え」ってゼスチャーを貰ってね。で、スバーロっていうファーストフード屋さんでね。初めて、デザートも つけて豪勢に楽しませてもらいましたよ。およそ8時間、極度の緊張で、ご飯食べていなかったんでね。
けれど、その人のを受け持って、段々、精神的に均衡が取れない状態に落ち込んでしまったんですね。何が問題かと言えば、依頼を受けると、インスピレーショ ンの為に、やはり様々な生き様とかを、おたまじゃくしで表す訳ですよ。様々な文献を読んで、日本語がなければ、英語を読んで、で、分からない単語があった ら、当時コンピュータ業界の生き神様のような方がね、私に英語を教えてくださって、拙いメールを添削してくださるんで、一生懸命に伺ったんですね。
決定打は、その人からお借りした「ノルウェイの森」そう、村上春樹さんを読んでね。終わったなって感じに、自分の中の均衡が崩れてしまったんですよ。で、 思ったんですね。自分はピュアでクリアなサウンドを目指し、讃美歌の旋律を奏でようとして、そして、狂気と正気の間にそびえ立つ高い薄い壁の上を、渡り歩 いていたんだと。
で、自分はね、どんどん苦しくなるわけです。そして、狂気の狭間に落ちたようで、時々、正気に戻ってくる。んな、日常生活が立ち行かなくなるんですよ。悲 壮な旋律が出てくれば来るほど、自分はボロボロですから。そんな時にさえ、天の上の方から、羽が舞い降り、金粉が舞うような状態で、自分は凄まじく日常生 活を営めないんですよ。ご飯に関しても無頓着。それどころか、食べた事さえ怪しかったんですね。
で、そんな中で、異国で評判はいい訳ですよ。日本の女の子が、コラール以上のコラールを作ると言われて、依頼は殆ど、「鎮魂歌(レクイエム)」とか、そう いう系統が多かったんです。ええ、昔っから、鎮魂系ですわ(苦笑)。
けれど、自分は、感覚過敏で苦しくなって、眠れない朝を、バスの始発で知ったり、幾晩も眠れない日を過ごす訳ですよ。苦しくてね。死ぬかと思った。
・・・・・・・・・ある日ね、辞めたんですね。
一切合財、身を引いたんですよ。
で、コンピューター業界に乗り換えて、そのまま、SEへ目指し始めちゃったんです。SEに鎮魂系とか、精神医学とかないですから、比較的安定したスタンス で進めて行かれたんですよ。まぁ、当時でも、芸術での掟破りな生活をしてきたんで、やっぱり、そんなITだからと言っても、型破り程度なお馬鹿さんはある んですね。けれど、芸術の時は、自分で今を思えば、人間じゃなかったと思った。
早くここから出て行きたい。自分のいる場はここではないとずっと思っていました。ここは仮の場所だと。芸術を創るには、なんとか早く、この苦しさを逃れた いと思いながら、苦しさをもて遊んで、辛さを友とする訳ですよ。で、更に自分を追い込むんですね。人から見たら、「なんで?」って思うかもしれませんが、 それが、芸術をやるには必要なんです。
芸術で成功したかったら、売り込み上手とスポンサーを捕まえるのは最低条件。けれど、それ以上の前に、自分自身の作品以外は何も見えない生活を送ることに なるんです。私は、母を見ていましたからね。芸術家ってのは、こんなにすごい集中力で、こんなに狂ったように見えて当たり前だと思っていましたよ。智恵子 抄では、高村光太郎を支える為に、狂人のように智恵子が、懸命に日本画を「扇子」や「扇」に書いて行くシーンがあって、佐久間良子さんが演じてらっしゃる 時の、鬼気ぶりは凄いものでしたよ。
その後、智恵子は狭間に落ちるんですが、落ちたからこそ救われたのは彼女。最後まであっちに完全に行けなかったのは、私。
現在の社会は、集団に属する事を尊び、個が特別ひとりで大きな力を出さないように、掟を破らず、型を破らず、丸くもなく、とんがってもなく、四角でもな く、大きくもない事を尊びたがります。
けれど、芸術家は、それを、簡単に打ち破る存在で、そうでないと成功しないんですよ。
R&D(リサーチ&デベロップメント 通称開発)なんかは、人間性を重視したら、新しい商品の開発が出来ない。商品の開発自体も、芸術ですから ね。発想による事は、殆どそういう意味合いを持つと思いますよ。ですから、何でも、「あの人は人間性を疑う」と言われて潰されがちなんですが、実は、人間 性や品性を疑っていただきながら、品性を失う程の見事な仕事っぷりを生温かく見て欲しいという職業があるという事です。
ですので、こういう業界もそうですが、「冷静になったら」負けかな。
ひたすら己を信じ、己の可能性を伸ばし、感覚に振り回され、インプットを増やし、どうアウトプットするか。まさに、生き抜くサバイバルなので、そういう職 業の人に、超能力があろうと、別に当たり前じゃないですかね。けれど、人としての道は踏み外すし、盲目になる事もある。
天の祝福を受けながら、それが己の精神をギリギリまで追い詰めて、毎度魂との会話をしながら、極端な中にタイトロープの上を一足一足、慎重に踏み出してい く。落ちるも地獄、落ちないのも地獄。それが、芸術ってもんだと私は思いますね。ええ、夕食にも芸術が出た我が実母なんか、凄まじいもんでしたよ。
けれど、昔は、割と経済力がある人がそれを支えたし、昔の日本って、結構ユルかったんですよ。
今みたいに、あーしないとダメ、こーしていないとダメ、とか所謂、ダメの美学の中で窮屈に生きてない。昔は、もう、おおらか過ぎて、おおらか過ぎて、眉を ひそめる位のおおらかさがありすぎた(苦笑)。けれど、どんどん、戦後の日本は、自分達をある西洋のティピカル(典型的)な枠に、はめようはめようと努力 して、枠にはまらない人を「規格外」として放り出してしまう。けれど、昔の日本は、その枠にはまらない人達の凄さも一緒に、皆ユルくイケたんですがね。
まぁ、芸術家には生きにくい世の中になって、どんどん感覚モノを馬鹿にする所があるんですが、人間、手応えって言う程、感覚は必要だと思うんですね。けれ ど、理解されない事も、まぁ、歴史の流れ上ある。けれど、それを耐えて、その上で、あなたの夢を咲かせてほしい。
ちなみに、我が夫はどういう訳か、こういう生き方に理解があるんですが、ただひとつ、今回約束しているのは、子供がいる以上、「狂気をもて遊ぶな」。これ ですんで、健全な牧歌的超能力者を目指しています。
朋
ちなみに、芸術方面にいた頃の自分は、20ドルで飯を喰えと札を渡されたら、全額一回分の飯に使ったという、大馬鹿もんなんですよ。スバーロは、どんなに 頑張っても13ドル。だから、悩みましたけれどね、スパゲッティにミートボールを入れて、ピザのスライスを取って、タルトパイを取って、サラダ取って。え え、13ドル。
で、後で、エージェントに、13ドル使ったって言ったら、エージェントが言うんですよ。お前、ほんと芸術家だな。経費とかそういう言葉知らんだろって。
今じゃ、経費どころか原価まで知る勢いで、どう曲がったんだか知りませんね。けれど、今じゃ出来ない事を、あの頃は出来た。それが、芸術の一方向に突飛す るという能力故だと思う。
せっかくだから書いておこうかと思ってね。芸術関連の上手な歩き方。
昔、音楽やっていましてね。まぁ、何にも大した業績はないんです。で、サンフランシスコに住んでいる時、ある一本の電話が全てを変えるんですよ。そ、ある 欧州のデザイナーが、イメージするミュージックが欲しいと言う。その人にインスピレーションを作りに来ないかと。
きっかけは、私が作ったイメージビデオだった。何でそんな人がそれを見たのか知らない。
で、日本のエージェントを通す訳ではなくてね。単身で挑んだんですよ。オーディションをNYでしてくれると言う。無論ですけれど、急きょ、NYまで飛行機 を取って、それで宿を取って、行ったんですね。主人が冷や冷やして、とにかく宿までは一緒になるように、彼もNYに出張を組んでくれたんですね。
で、会話なんてろくに出来ないんですよ。向こうのエージェントと、会話が成り立たない。欧州の言葉でさえ、おぼつかない。だから、辞書を持ってね。英語の 辞書も持ってね。んで、出かけたんですね。でも、オーディションでは、会話なんてあんまり必要なかったんですよ。相手の意図するところから汲み取って、曲 を一つのテーマにつき6曲位書けば良かった。で、幾つもこなして行った時、「ブラボー」の一言で、オーディションに受かるんですね。
で、帰りは、20ドル札握らされて、「これで飯を喰え」ってゼスチャーを貰ってね。で、スバーロっていうファーストフード屋さんでね。初めて、デザートも つけて豪勢に楽しませてもらいましたよ。およそ8時間、極度の緊張で、ご飯食べていなかったんでね。
けれど、その人のを受け持って、段々、精神的に均衡が取れない状態に落ち込んでしまったんですね。何が問題かと言えば、依頼を受けると、インスピレーショ ンの為に、やはり様々な生き様とかを、おたまじゃくしで表す訳ですよ。様々な文献を読んで、日本語がなければ、英語を読んで、で、分からない単語があった ら、当時コンピュータ業界の生き神様のような方がね、私に英語を教えてくださって、拙いメールを添削してくださるんで、一生懸命に伺ったんですね。
決定打は、その人からお借りした「ノルウェイの森」そう、村上春樹さんを読んでね。終わったなって感じに、自分の中の均衡が崩れてしまったんですよ。で、 思ったんですね。自分はピュアでクリアなサウンドを目指し、讃美歌の旋律を奏でようとして、そして、狂気と正気の間にそびえ立つ高い薄い壁の上を、渡り歩 いていたんだと。
で、自分はね、どんどん苦しくなるわけです。そして、狂気の狭間に落ちたようで、時々、正気に戻ってくる。んな、日常生活が立ち行かなくなるんですよ。悲 壮な旋律が出てくれば来るほど、自分はボロボロですから。そんな時にさえ、天の上の方から、羽が舞い降り、金粉が舞うような状態で、自分は凄まじく日常生 活を営めないんですよ。ご飯に関しても無頓着。それどころか、食べた事さえ怪しかったんですね。
で、そんな中で、異国で評判はいい訳ですよ。日本の女の子が、コラール以上のコラールを作ると言われて、依頼は殆ど、「鎮魂歌(レクイエム)」とか、そう いう系統が多かったんです。ええ、昔っから、鎮魂系ですわ(苦笑)。
けれど、自分は、感覚過敏で苦しくなって、眠れない朝を、バスの始発で知ったり、幾晩も眠れない日を過ごす訳ですよ。苦しくてね。死ぬかと思った。
・・・・・・・・・ある日ね、辞めたんですね。
一切合財、身を引いたんですよ。
で、コンピューター業界に乗り換えて、そのまま、SEへ目指し始めちゃったんです。SEに鎮魂系とか、精神医学とかないですから、比較的安定したスタンス で進めて行かれたんですよ。まぁ、当時でも、芸術での掟破りな生活をしてきたんで、やっぱり、そんなITだからと言っても、型破り程度なお馬鹿さんはある んですね。けれど、芸術の時は、自分で今を思えば、人間じゃなかったと思った。
早くここから出て行きたい。自分のいる場はここではないとずっと思っていました。ここは仮の場所だと。芸術を創るには、なんとか早く、この苦しさを逃れた いと思いながら、苦しさをもて遊んで、辛さを友とする訳ですよ。で、更に自分を追い込むんですね。人から見たら、「なんで?」って思うかもしれませんが、 それが、芸術をやるには必要なんです。
芸術で成功したかったら、売り込み上手とスポンサーを捕まえるのは最低条件。けれど、それ以上の前に、自分自身の作品以外は何も見えない生活を送ることに なるんです。私は、母を見ていましたからね。芸術家ってのは、こんなにすごい集中力で、こんなに狂ったように見えて当たり前だと思っていましたよ。智恵子 抄では、高村光太郎を支える為に、狂人のように智恵子が、懸命に日本画を「扇子」や「扇」に書いて行くシーンがあって、佐久間良子さんが演じてらっしゃる 時の、鬼気ぶりは凄いものでしたよ。
その後、智恵子は狭間に落ちるんですが、落ちたからこそ救われたのは彼女。最後まであっちに完全に行けなかったのは、私。
現在の社会は、集団に属する事を尊び、個が特別ひとりで大きな力を出さないように、掟を破らず、型を破らず、丸くもなく、とんがってもなく、四角でもな く、大きくもない事を尊びたがります。
けれど、芸術家は、それを、簡単に打ち破る存在で、そうでないと成功しないんですよ。
R&D(リサーチ&デベロップメント 通称開発)なんかは、人間性を重視したら、新しい商品の開発が出来ない。商品の開発自体も、芸術ですから ね。発想による事は、殆どそういう意味合いを持つと思いますよ。ですから、何でも、「あの人は人間性を疑う」と言われて潰されがちなんですが、実は、人間 性や品性を疑っていただきながら、品性を失う程の見事な仕事っぷりを生温かく見て欲しいという職業があるという事です。
ですので、こういう業界もそうですが、「冷静になったら」負けかな。
ひたすら己を信じ、己の可能性を伸ばし、感覚に振り回され、インプットを増やし、どうアウトプットするか。まさに、生き抜くサバイバルなので、そういう職 業の人に、超能力があろうと、別に当たり前じゃないですかね。けれど、人としての道は踏み外すし、盲目になる事もある。
天の祝福を受けながら、それが己の精神をギリギリまで追い詰めて、毎度魂との会話をしながら、極端な中にタイトロープの上を一足一足、慎重に踏み出してい く。落ちるも地獄、落ちないのも地獄。それが、芸術ってもんだと私は思いますね。ええ、夕食にも芸術が出た我が実母なんか、凄まじいもんでしたよ。
けれど、昔は、割と経済力がある人がそれを支えたし、昔の日本って、結構ユルかったんですよ。
今みたいに、あーしないとダメ、こーしていないとダメ、とか所謂、ダメの美学の中で窮屈に生きてない。昔は、もう、おおらか過ぎて、おおらか過ぎて、眉を ひそめる位のおおらかさがありすぎた(苦笑)。けれど、どんどん、戦後の日本は、自分達をある西洋のティピカル(典型的)な枠に、はめようはめようと努力 して、枠にはまらない人を「規格外」として放り出してしまう。けれど、昔の日本は、その枠にはまらない人達の凄さも一緒に、皆ユルくイケたんですがね。
まぁ、芸術家には生きにくい世の中になって、どんどん感覚モノを馬鹿にする所があるんですが、人間、手応えって言う程、感覚は必要だと思うんですね。けれ ど、理解されない事も、まぁ、歴史の流れ上ある。けれど、それを耐えて、その上で、あなたの夢を咲かせてほしい。
ちなみに、我が夫はどういう訳か、こういう生き方に理解があるんですが、ただひとつ、今回約束しているのは、子供がいる以上、「狂気をもて遊ぶな」。これ ですんで、健全な牧歌的超能力者を目指しています。
朋
ちなみに、芸術方面にいた頃の自分は、20ドルで飯を喰えと札を渡されたら、全額一回分の飯に使ったという、大馬鹿もんなんですよ。スバーロは、どんなに 頑張っても13ドル。だから、悩みましたけれどね、スパゲッティにミートボールを入れて、ピザのスライスを取って、タルトパイを取って、サラダ取って。え え、13ドル。
で、後で、エージェントに、13ドル使ったって言ったら、エージェントが言うんですよ。お前、ほんと芸術家だな。経費とかそういう言葉知らんだろって。
今じゃ、経費どころか原価まで知る勢いで、どう曲がったんだか知りませんね。けれど、今じゃ出来ない事を、あの頃は出来た。それが、芸術の一方向に突飛す るという能力故だと思う。
