こんにちは。

今まで、わたしにあったケースで、今のわたしでも、隙があるとうっかりしてしまうことをご紹介します。
以前、病院へ行ったり、大病院へ行くと、澱んだ人の気に当たりましてね、自分が凄く具合が悪くなることが多かったのです。あっちから足の悪い人が来れば、気が付くと、同じ方の足も痛み、こっ ちから、喉の痛い人が来れば喉も痛みます。まさに、病院を出る時は、お受け取りが過ぎて、「満身創痍」になって帰宅の道に着くことが多かったですね。

最近、普通に痛い人を見ても、なんとも思わなくなりましたし、痛くもなくなりました。確かに痛い人を見れば、「痛そうだな」って思います。
けれど、貰わずに受け流す。
思いっきり、「誰かアタシ困ってんのよぉぉ。さびしいのよぉぉ。構ってよぉぉぉ」という想念もさらりと受け流せるようになりましたし、そういう人がわたしに寄りつくことがなくなりました。悩んでいる人の相談には相変わらずどこかで乗っているわたしですが、幾ら困っていても、別にある程度以上のアドバイスを与えて終わりです。
わたしの言う事が「理解」できても「納得」できなければ、その人には意味がないので、それ以上は何を言ったのかもあまり覚えていません。つまり、相手の相談に乗っても、「同調」するのはその時だけ。それ以降は、同調すること自体を、「記憶を捨てることで、ブロックしています。」

人の痛みが移ってこないのは、過敏さが抜けたのかと思ったんですが、そうではないようなんですね。
わたしは、元々、集中力が高い人間でしたが、子供を産んでしばらくは、余り集中できませんでした。色々勉強をする中で、決まった時間内で終わらせようと苦労していく中で、集中力がまた上がったのだと思います。
同時に、大変に神経質な性質で、周囲の音に過敏でした。でも、子供がいたり、色々雑多な入院生活の中で、睡眠だけは取っておかないと体が参ってしまいます。なので、徹底的に、自身の中は、「自身の欲望」で一杯なのです。
集中力がかなりあがって、「自身のやりたいことをしたい」為についた精神力のおかげで、アタックが来ても、ブロックできるようになったんです。神経質だった頃は、寝ている時もうかうか眠れませんでした。
あの頃は、生きている人の想念も、死んだ人の想念も拾い、目には視える、視たら、「動揺」し、「何か焦る」気持ちで一杯でした。
今は、まぁ、世の中、不可視の世界も含めて、こんなものかなって感じで、生温かく思えるようになりました。自分の部屋に出ても、別に、ここは自分の部屋だと決めたのは、「人間であるわたしの都合」ですよ。でも、別の生物やなにかには、そういう概念もないし、恐らく行政区という概念もないし、国家という概念もないのでしょう。

結局、霊能力や霊感や霊媒で、苦労した面は、「その自分の決めた空間は自分のものである」という思い上がりでした。なので、別に、そんなご都合主義は通らないのだと分かってから、あまり気にしなくなりました。

そりゃ、若いお嬢さんで、そういう概念に、「腹をくくって、見捨てておけ」と言うのは無理があるかもしれません。でも、わたしの実家は、普通に出る実家でしたし、わたしの母の実家も、父の系統も普通に出て当たり前の処でした。若い頃は、それが許せずに、あれこれ考えたのですが、「許せない自分の器量が狭い」のだと思ってからは、「行政区」の概念が通用する生きた相手には、「出て行け」と簡単に言います。

現実に忙殺されているても、事故のある横断歩道に佇んで誰かを巻き添えにしようと狙いを潜める奴に、何かしてあげたいとは思わないですね。大体事故が起きるところは、地形的に「錯覚」を起こしやすく、事故に繋がりやすい道の作りになっています。それ以上に、三差路の行き当たりで拾うとか、そういう事は未だありますよ。

本音はね、話を聞いてくれれ ば、上げようと思ってた時代もありました。でも、そこにいるのは、そいつの意思でしょう。嫌なら上げてくれと思うでしょう。でも、上げて欲しそうな顔をして、祟る奴、生きた人間でも多いですよね。弱そうな憐れみを請い、情けを請う奴だけれど、付き合ってみたら、とんでもないたかり魔だったなんてよくあります。そんなだめんずに、何を情けをかけるのですか。それは、わたしの偽善の心だと思ったら、したくなくなったのです。

事故死したかどうか分からない、そんな悪徳モノに「可哀想に」と手でも合わせれば、シンクロしてあなたの今晩の夢 は、「俺の引き起こさせた交通事故シリーズ」と称して、延々むごい場面を見せられるのは、無駄だと思いませんか。では、どうしてそんな奴にシンクロしたのですか。あなたと似ていたからですか。それとも、あなたが高い位置にいると傲慢をかました所為でしょうか。

交通事故・色々な事故の被害者は、正直あまり視えないです。地縛しているのは、死んだことを悟っていないか、受け入れられない人。でも、大概の犠牲者さんは、何年か経つとやはり、ご遺族の回向もあって上がられる。その時、ご遺族が上がっていかれる方に執着をしない事が肝心。きちんと上がられていきます。確かに自力で上がれなくて、視える身内の方に上げることを頼まれることもあります。

でも、残留思念として、事故現場に残っているのはもはや、「馬鹿」の見本市として立派に発表してもいい、もうどこから手を着けていいんだか、でも迂闊に障ると自分が危ない、危険な悪意の塊です。だめんずも、邪悪もサイコパスも皆同じです。
そんなものに、一々チャンネルを合わせるより、一番いい策は、無視です。

あなたは、きっと、「ご自身がやりたいことを見つけられないから、こんな霊の供養をしたいと思い出す」のですよ。霊の供養は、他にしてくれる人がいます。それに出会わない「道端の霊」は、その機会が来るのを待つしかないのです。
あなただって、「採用してほしい会社に採用して貰えない」悲しさありますでしょう。でも、お情けで「雇ってもらった会社」とはうまく行かないと思うのですよ。お情けで雇った側には、お情けの裏事情がありますから。

「ご自身がやりたいことが見つからないからと言って、霊で遊ぶとか霊を商売にする」のは、もう少し、あなたの人生経験値と、コミュニケーションスキルと、ソーシャルスキル、そして、様々なことの単位が取得できてからでもいいでしょう。あなたを必要とするところは、別にこんな病んだ世界だけではありませんよ。よく見てください。
どの道、相手は、「スーパー弩級に病んだ、生きている・死んでいる連中」なんです。

無理が過ぎるってモノじゃありませんか?