こんにちは。

自分の道は自分で切り開く、そう教えられて、育ったわたしは、甘えて人に依存することを社会に求めた。

甘えて依存する人が多い会社は喜んでわたしを受け入れてくれる。けれど、彼らも甘える。結局は、わたしが疲弊し切るほど、甘えて、甘えたことに対し、できていないことを、感情で文句をいう。

わたしは、甘えて、自己中でいられる人生が良かった。

そういう人生を歩みたかった。文句を言いながら、ひとに養ってもらう人生が良かった。でも、わたしが、どうしようもない心臓病の際、世話にならなくてはならなかった場合、どの人も冷たかった。手のひらを返したように、人はわたしの前から消えた。

 

わたしが、再び、ひとと同じフィールドで動くようになって、人は集まり始めた。依存しないわたしに依存したがる人が群がった。

 

わたしが、なりたいのは、依存して、いい加減なことを言って、

「自分の起こした悪の代償を、他人に押し付け、払わせることができる」人間なんだよ。

 

なんで、なれないんだよ。なんで、なんで、どこまでも、わたしは戦い抜かなくちゃいけないんだよ。どこまでも理性的で、どこまでも、人は何をわたしに求めるんだよ。わたしは、誰に甘えることが出来るんだよ。誰がわたしを甘やかしてくれるんだよ。

 

いい加減なことを言って、詐欺まがいなことをする主人の母をずっと羨ましく思っていた。

 

人を煽り、自らを悲劇のヒロイン化し、酔いしれる彼女が羨ましかった。

 

わたしは、結局、そんな母親になれそうもないし、わたしの息子は、ACでもない。わたしの小さなカウンセラーでもないし、わたしにとって、何を導き出すこともできない。非力な状態である。だから、その中で、わたしは、相変わらず戦い抜いている。

 

甘えて、寄り添って、甘やかしてくれる人は、きっと、不倫でもすればいるのだろう。

 

そうやって、最近、不倫をする中年女性の心理を感じるようになった。更年期かと思ったが、更年期を超えたら、やり放題じゃん(不謹慎)とか、考えた ら、そういう意味ではないのだろうと思った。「甘えて過ごしてきたんよ。」と言って、子供に自分の甘えを正当化させる母にはなれなかったし、「子供の甘え を受け止める」母になってしまった。

 

それじゃ、受け止める先は、不倫相手じゃないか。・・・・・と思うが、残念ながら、スペックを満たす不倫相手を見つけることは不可能である。(苦 笑)。わたしが望む不倫相手のスペックは、恐らく、終電で帰宅し、早起きして体を鍛えるようなそんな男は、ストイックバリバリなので、まぁ、まず無理なの だろうと思う。

 

そうだな。自己中を貫き通して、甘えられたら、ほんとよかった。

受け入れてくれないひとの愚痴をこぼして、受け入れろと相手に強要し、徹底的に受け入れないことに対し攻撃する人間になりたかった。

受け入れられることが当たり前な自分でいたかった。

医療過誤から得たトラウマにより、わたしは、受け入れられることが当たり前ではなく、オドオドする人間になってしまった。

 

良かった人生かどうかは、わたしの価値観一つ。

 

ひとつだけ、言えば、わたしの人生で、ヨカッタと思う。受け入れられないことに憎しみを感じてばかりだったら、今頃、平穏な気持ちにはなれなかったと思う。

でも、ただ守られて生きて行きたかった。