こんにちは。


続いていく、奇跡の仕組みだが、ここでひとつ、予め述べておきたい。

人は、努力だけでは、うまくはいかない。最後に必要となるのは、「たまたま」にあたる、「運」である。

今まで考えてきたとおり、「たまたま」は、どんな霊能者にでも治すことは不可能である。肉体を変化させる事は加持祈祷では無理である。彼らが出来る事は、隙間 をぬう事くらいしか出来ない。彼らは、諦められなくて苦しむ人に引導を渡すようなところも持ち合わせる。肉体(器質)を変化させることは出来ないので、肉体から来る、様々なコンプレックスや、様々な悩み、様々 な苦労に関して、何もできなくて当たり前である。

逆に凄く期待している人もいるが、何を考えているのか、まず、努力して最善の努力でやり尽し、後悔を生まないだけやり遂げてから、霊能者へ行くべきだろう。


偶然の才能は、人によるが、肉体に関しては、最初に持って生まれる「運」だ。

顔がかわいく生まれようと、かわいく生まれなかろうと、時代によって顔の好みは幾らでも変わるからね。強いて言えば、眉毛ひとつにとっても、好みは変わる。つい先日、安室なみえさんが、細眉だったが、いまや時代は、太眉だ。でも、バブル期の太眉ではない。

少しずつ変わってからこそ、「今が全て」だと、断言はできない。

景気の良しあしは努力で何とかなるけれど、ならない分野もある。また、そういう時代が来る事自体も、運にしか過ぎない。そして、あなたが、就職し、楽しくいられるところも、運の賜物だろう。

最善の努力をするのは当たり前であり、努力だけではなしえない、最後の砦は、運なのだろうと思う。


その、「たまたま」ってものは、これ程、人を左右するのだが、正直に言えば、この運の訪れ方は、「ランダム」である。

事故現場に巻き込まれる事ひとつでも、予め、事故が起きそうだと予測して挑む人も、どちらでも「たまたま」ふらりとして行ってしまう人もいる。これがランダムに起きる。

不幸は大きな声をしているから、そういう波動に呼ばれやすい人もいるが、基本的に、物事は、類は友を呼ぶ傾向がある。引き寄せの法則を読んでうなづく人は、そこまでのレベルでしかない。引き寄せているのではなく、引き寄せられてもらえるように、自分を律して努めるべきだろう。

つまり、今後のあなたの心がけ次第では、類友を卒業できるのだ。

 

ただ、どうやって、類友を卒業できるのか、あなたの努力と聡明な判断に任せたいと思う。理由は、個々の人体の差が大きいからである。環境を変えることでなんとかしようと思う人もいるし、変えすぎて逆に×に見られることもある。皆、言わないけれど、必死で色々試行錯誤の連続の毎日だ。

あちこちが壁の人は、そのときは苦しいだろう。だが、必ず、出口は見つかります。今は見当たらない出口に、パニックになって焦れば、余計、見失う。


冷静さを失っているあなたには、見つからないモノが必ずあるのだ。


という訳で、「たまたま」というものは、結局は、訪れ自体が、偶然の産物であること。後は、努力によって、与えられる「たまたま」がありますが、努力を活かせるたまたまもあり、不可抗力のたまたまもある。

運も実力のうちですから、謙虚にいることは当たり前だ。謙虚さは、運を呼ぶ。


驕れる者こそ久しからずや、情けは人のためならず。

 

ちなみに、努力で回避できる偶然を、察知するのは、修行積まなくても、普通の人にできることだ。

 

 


思考の整理学 (ちくま文庫)
外山 滋比古
筑摩書房
1986-04-24