オバマノミクス―「持てる者への優遇の経済」から「持たざる者への思いやりの経済」へ
ジョン・R. タルボット
サンガ
2009-02(オバマさんは、着手点が間違っていたと思う)

こんにちは。


今でも覚えている人がいる。その人は、17を迎える前に亡くなった。生きている間、壮絶な人生を歩んだ。


わたしとは、中学生の同級生だった。

彼女は、いじめを得意とした、所謂、ヤンキーだった。

わたしは、クラスの一番前の席で、「教科書をカバーにして心霊話を読んでいるような人間だった。」ので、クラスで嫌われていることは分かっていたし、勉強していない割には、成績がなまじいいので、もっと嫌われることも知っていた。そんなわたしにの後ろの席に彼女は座っていた。


彼女は、色々な方法でわたしをいじめた。わたしも家の中で兄貴と修羅場だったので、彼女のいじめはあまり大したいじめではなかった。背中をコンパスで刺されようが、鉛筆で背中を引っかかれようが、全然平気だったので、彼女の中では、一番「苦痛を与えて喜べな い人間」に値していた。

わたしの兄は、陰湿ないじめを繰り返す性質で、女性のヤンキーが行う、叩くとか、つねるとか、そんなのは全然兄に比べたら、平気ないじめだった。

むしろ私は、自分の腕で全てをブロックしながら突き進んで(自分の肉を切らせて)、相手の骨を断つというタイプ。そこそこ、彼女が本気になって、取っ組み合おうと、本気になったわたしが暴れると、喧嘩は流血沙汰になった。

そもそも、握力は男以上、腕力が強くて、脚力が強い。だけれど、まっとうに戦えば、男には敵わない事は分かっている。

時々、彼女がやりきれなくなった時には、学校の帰りに、お礼参りを貰ってしまい、その中に男が入っていたら、効率よくその男達を潰 し、女を潰すようなそういう戦略を身につけざるを得なかった。

戦略を考え付くのは、兄との実戦において学んだ。兄は優しく遊んでくれる面もあったが、兄が抑えきれない怒りを学校で受けた時は、容赦ない虐待がわたしを待っていた。


不良と呼ばれる人とは、お礼参りも含めて、かなり遊んだけれど、ずっと相手が腑に落ちなかったのは、それだけ、暴れるこの女が、実の母親の怒鳴り声には、全く敵わないこと、父親に無条件で殴られっぱなしなこと、兄にみんなが見ている前で、壁に立ちすくんでスマッシュを受け続けて文句を言わない と言う事だったと、卒業式のときに聞いた。

わたしは、警察沙汰が自分の家に良くない事は分かっていたし、公務員の家はそんなもんなんだろうと思っていた。だから、学校で起こす流血沙汰は、なるべく控えるように自律していた。


彼女とは、それでもよく喧嘩したのだが、割と仲が良くて、テストが返却される時に、「わかんねーんだよ」と言って15点のテスト答案を持っている彼女に、こう言った。

「何がわかんねーんだか、教えてくれねーとこっちもわかんねーんだよ」

こんな話をして、お互いに、その15点のテストを見合った。なんと、彼女、小学校レベルの算数からその先ずっと分かっていなかった。分数は分からず、小数点さえも危なかった。全然、全く頭に入っていなかった。わたしは、算数や数学は得意中の得意だからこそ、驚きを隠せなかった。

「お前、どこから勉強してこなかったんだよ。」

「わかんねーよ。気がついたら、何もかも、分からなくなっちまったんじゃねーか。」

「そんな、お前、小学校4年生くらいから、分からないまま、カバン抱えて、ガッコきてたのか。」

「わかんねーから、今習っていることなんか、全然なんだよ。てきとーな事言えば当たると思っていたんだよ。」

「そういう場合じゃないだろう。お前、引き算も怪しいぞ。お釣りどうやってもらってんだよ。」

「あんまし、考えたことねーんだよ。くれるもんをもらっておいて。」

「んで、後で、合ってないことがわかったら」

「お礼参りにいくってことなんだよ。」

「お礼参りに行く時に、幾ら返してくださいって言えるのかよ。」

「いえねー。」

「お前とわたし、授業時間で座っている時間は同じなんだぞ。サボっていたら、お前、お釣りごまかされても、気がつかなきゃ、ぼったくられっぱなしなのか。それで、いーとでも思ってんのか。」

「ぼったくっている店が悪い。」

「そういう考えじゃないだろう。ぼったくられるようなお前が悪いんだよ。あーもー、今日から、お前、引き算足し算掛け算割り算っ徹底ーな。」

「なんで?」

「お前、このまんまだと、まともに行ける高校ねーぞ。」

結局、その彼女には、悪態をつかれながらも、算数の基礎を学ばせた。同じ時間、座席に座ってて、こうも差が開いて価値観が変わってくるのだ。きっと、今日も学校のこの席に座り、わたしはひたすら前の席で、教科書に隠して学校中の「心霊本」を読んでフケっているが、あんたには、漢字も読めないので、その読書の楽しみさえない。ただ、座って何か考えて過ごしてやり過ご すって、一番難しいことなんじゃないかなと、その時思った。


その後、私は難関だった高校に入り、その子は、私立都立全て落ちてしまう。

「なんで、この間教えたことやらなかったんだよ。そこ出たじゃねーか。」

「だってさ、うちがさ。」

「うちがどうしたんだ。」

「うちが・・・・・取り込み中で出来なかったんだよ。オヤジがお袋を殴って。」

「甘いな、うちなんか、オヤジ入院しちまってお袋帰ってこねーんだよ。飯がねーし、兄貴暴れているし、受験の日の弁当は腐ってたんだよ。腹痛かったんだけど、そういう状態でも、受かる時は受かるわけ。お前、そういう状態に徹底的に弱すぎ。親父がお袋殴ったくらいでどうだってんだ。」

「お前のうち、そんななの?」

「当たり前だよ。あんたがコンパス刺したって、殴ったって全然痛くねーつってんだろ。もっと痛いことが、うちには一杯あるんだから。」

「うち・・・・オヤジ、お袋殺しそうで。」

「なら、お袋、守りながらでも、算数位はやりやがれ。」

「・・・・・・・・・・・お前はやってんの?」

「当たり前だろ。勉強なんてもんは甘えてできるもんじゃねーんだよ。みんな必死なんだよ。できない時間なんてねーんだよ。」

「・・・・・・・・あんた・・・・・・・・・・大きくなるんだな。」

「なんだよ、これ以上、背は伸びねーよ。」

「ううん。・・・・多分、あんたは、あたしと世界が違うんだ。」

 

この会話を思い出して、持たざる者、持てる者を思い出しました。

きっと、彼女は、「家の中のゴタゴタ」に気を取られて、それに時間を費やしたからこそ、その後への投資が出来なかった。わたしは、ゴタゴタさえも抱えつつ走って、受験に合格した。

そこの考え方、時間の配分、諦め方、騙された時の考え、それが、きっと、精神的貧者と富者を分けると思う。


彼女は、その後、ついに狂乱した父親が母親を刺した時に、母親を守ろうとして亡くなった。最後に、何を考えて亡くなったのか分からなかったが、わたしは彼女とよく、「いつかは、この町を出てやりたいと思うんだよな」と、お互いに話をしたことだけは覚えている。

実行できるか、実行できないかは、無論、その環境のわずらわ しさにもよると思う。

だけれど、当人の心の強さが一番だと思う。

 

ちなみに、私はいじめられていた人に値するのだが、不思議といじめられている気がしてなかった。コンパスで背を刺されたり、背中が歪んだほど蹴 られたりなどしたが、不思議と痛くなかったのは、その当時のわたしの家が、不安定極まりない状態であったからだと思う。


わたしは、受験で受かった学校があった。だけれど、伯父が田舎から出てきて、父が危篤であり、もしかしたら、受験で受かっても中卒で働いてもらう可能性があることを話に来た。わたしはショックだった。頑張っても報われない世の中があるのだ。わたしは、そこで、学校に通いながらできるアルバイトを探そうと、中学の先生に相談に行った。受かった学校は二つあった。一つは、合格発表を見て、そして受け取った書類には、0が幾つついているか、震えて数えられない程の桁数の授業料と寄付金の要請が書いてあった。自分には無理だと思ったので、書類ごと、その学校の近所の公園のごみ箱に捨て、公園で泣いて帰った。


それでも、わたしは、不安定な未来に震える自分を隠して、親の前でいい子を演じることに、一生懸命なだけだった。

彼女の事は、実家に行くときに、中学の前を通りかかる。体育館を見ると思い出す。わたしに何があれ以上できたのか、中学生の時の非力さを思い出す。

 

心の強さがこんなに大事なことだとは知らなかったんだ。

 

 


貧者を愛する者: 古代末期におけるキリスト教的慈善の誕生
ピーター ブラウン
慶應義塾大学出版会
2012-04-09