こんにちは。

サイコパスと言うのは、自己愛人格障害の一つです。自分の思う事を皆がしてくれて当たり前、という概念で考えています。今回は、霊能者にサイコパスが何を求め、何を報復として行うか、書いていきます。

サイコパスは、自分の未熟さを棚に上げて、人が自分の尻拭いをやって「当然」だと考えています。下手したら、「自分の未熟さは、相手が成長する為にあるのよ」と言う人もいるでしょう。「あなたの為に、未熟でいてあげるのよ」と言う人もスピリチュアル業界では多いですね。
スピリチュアルに興味のある「他力本願寺」の人を、「自力本願寺」に変えるのは、やはり中々難しいですね。

自分が努力なしに快適に過ごす事を、周りが全部お膳立てしてくれてやってもらって当然だと思うんです。やらないと不満が出ます。これが、クライアントとし て霊能者や占い師を尋ね歩けば、例えば、「念」で長男が帰って来て同居するようにしてくれと頼んでくる事が多いです。「念」で、宝くじが当たりますように、「念」 で、自分の生活が開運に向きますように。「念」で、営業成績が上がりますように。「念」で就職先が決まりますように。「念」で、家族が平和となり、自分に従いますよう に。
お前どんだけ、欲深なんや、って突っ込みが入りますね。

けれど、実際、「念」じゃ長男は帰って来ない訳ですよ。そうなると、嫁の文句の前に、こう言う事になるんですね。

「XX先生に高いお金を出してお願したのに、ちっとも良くなりゃしない。あれは、偽物の人だ。本物はもっとちゃんとできるはずだ。」

彼らの考え方には、一応、理由があって、自分が不快だと思った事を、「即」取り除け。そして、出来なかったら、わたしは怒りますよ。あなたは出来ない人なんだから、わたしが怒ったのを受け止めて当たり前ですよ、とね。

ですから、こういう場合、クレームになって、こう言う人達こそが、自分の思うようにならなかったと、XX先生の評判を落として歩きます。こういう人の情報は、ブラックリストとして、霊能者同士や占い師で共有することもあります。危ない人なので、仕方のない事です。
でも、「実は色々要求するこの人は、ご自身はやるべきことをやらない張本人なんですよ。」念まで使って、長男夫婦と同居したい、自己愛のこの人は、そもそも、ご自身のお姑さんとは同居していないのですよ。その癖、自分の子供には、自分と同居するよう、手段を問わずに求めるんですね。論理的思考がない・・・のか・・・・

・・・・・・・・・・あるんじゃないですか。「全てにおいて、自分が最優先されるべきだ」という、法則にのっとって、彼らはいつも思考を している訳ですから。

自分が快適になるよう、周りは努めるべきだと、言いはります。凄く、恥の概念に敏感な割には、どういうわけか、自分がやっている事自体は、「赤っ恥」 だと思わないようです。そもそも、どうやら、ご自身の存在自体が、「周りを成長させる為に、わざと自分はDQNでいる、まるで弥勒菩薩のような人間だ」とこ う言い切る訳ですよ。そこまで言いきられたら、この方は、病気ではなく、精神病気質なんでしょうね。

「念」で、長男と暮らせないんですか?と聞かれたら、即座に言いますね。「念」で、長男と暮らせたとして、後々、その生活が本当に続くんですかね。白雪姫も、シン デレラも、魔法の杖で1・2・3でしたが、その後はどうだったか、円満なご家庭であったかどうかわかりませんよ。でも、手段問わず、「念」でもなんでも使って、「思いを叶える」姿勢は、怖いですね。

こう言う人達は、開店したての占い師、霊能者の前に並びます。うまく当人を説き伏せたとして、「今回は諦めた。」事があっても、その次もまた、懲りずに何年経っても やってきます。何年経っても、本人が変わらない事の方が、よっぽど不思議だと周りは思うでしょうけれど、他力本願ですからね。そうそう、性質は変われるものじゃ ありません。
そして、できない報復として(出来る人はまず世界のどこにもいないが、策長けて、長男を一回はうまく罠にはめる助言が出来る人がいるだろう)、「自分はそ の人の悪評を書きたて、喋り立てる」訳です。まぁ、「周りの為に、努力しない」と公言できる弥勒菩薩(苦笑)の様な方ですから、普通の理論じゃこの人を論破は 出来ないです。

結局、経歴詐称し、相手を陥れ、皆の信用を失って、孤独な暮らしが待っています。
サイコパスに、もし、あなたが望んでいる、「反面教師」になりたいなら、反面教師は、別に正しい事への反面教師なだけではないのです、間違ったことへの反面教師もあるのですよね、と告げてみたらどうでしょうか。
ついでに、「だから、孤独死することもお仕事ですよ」と。
しかし、都合がいい人達ですから、「これだけしてあげたんだから、皆が感謝して、我先に、介護してこそ当たり前よね」、という理論を口角泡を飛ばしてに言い張るでしょうか。その論理には、きちんと、「自分に都合のいいこと」は「世間の正義」という、「定説」がひかれているところなど、凄いですよね。

それでも、こういう人に都合のいいことだけ言う人は少ないですから、占い師も霊能者も医者も、この人たちは、熱心ではなく、常にジプシーして歩きますし、宗教に入信しても、いまいちな熱心さにて、結局はカルト宗教さえ、ジプシーして歩けるんです。そりゃそうです。宗教も自己に便宜を図るツールだとしか思ってないんですから。
カルト宗教にしても、この人はメリットないなと思うんでしょう。メリットのある人は、絶対に手放さないですから。

反対に、霊能者や占い師、宗教の教祖が、サイコパスであることもあります。自分の都合のいいように相手を操り、反撃されると、激高してしまいます。その激高ぶり に、周りはドン引きするか、周りは、自分が間違っているのではないかと混乱します。
混乱する必要はありません。何を言っても、決して根本にあ る、「自分の都合のいいように皆が動いてしかるべきだ」と言うご高説は、「絶対」に覆されないんですから。
ビジネスにおいて、個人営業なら、相手にされないで、小さくなって潰れると言うのはありですが、企業にこういう「手段問わず」の人がいると、企業採用側は、この人こそ「傾国の美女」だと思えるような甘く痺れるプレゼンを貰ったんでしょうね。

自分の勧める教義に逆らうひとは、徹底的に集団で粛清し、自分の手を決して染めない。自分は、ネットになりすましで、営業をかける。色々、弱った人や困っている人の相談に乗る振りをして、聖人君子のような状態で現れます。弱っている時を嗅ぎつけてやってきた、その時だけ際立った「聖人」的な振る舞いが目立ちます。
やがて、自分の元に囲い込み始め、その人間が自分の思うように動かなかった時、こう叫びま す。
「あんなにXXしてあげたのに!。」
その激高ぶりに、周りは驚きを隠せません。
聖人ぶりを知るだけに、皆がなだめに入るのですが、分かる人は、離れていきます。こういう人程、社交的で、友人と呼べる人は少なく、けれど自分は友人が多いと思い込んでいる。そういうケースが多いんですね。
「してあげた」と思う事は、ヒーラーや霊能者になる時、捨てなきゃいけない事なんですけれど、ついつい、喜ぶ顔 が見たくて、クライアントのサイコパスに引きずられ、自分のサイコパスが、そこへ、「顔」を出してきます。

そういう世界は、身近なところから、企業や国家にまで存在します。
でも、どう言っても誰も責められないんですよ。誰の心にも自己愛が、必ず存在しますしね。