「北極星を目指して」 (左脳のひらめき)

I'm your polar star in the journey of life.

欲しかったら買えばいいし、欲しくなかったら無理に買う必要はないと思うの。
こんにちは。


パワーストーンについてよくお問い合わせがあるんですが、基本的に高価なパワーストーンは即決で買うことをお勧めしません。

わたし的には、10万って、即決価格なんですが、それでも、これを毎月払えって言われたら、やっぱりしんどいですし、そういうループの中に入ってしまった際には、非常に苦労したことがありました。

エネルギーってパワーストーンにもあるんですが、基本的には、お店で体感する凄さと、自宅で体感する凄さってのがありましてね。お店で体感したもの が、自宅で得られないってのは、無意味だと思うんです。そもそも、何度も何度も見に行く楽しさってありますよね。何度もいいなーいいなーって見て、そし て、ある日、ふとした収入を得て、買うことができたっていう喜びは凄く嬉しいものなんですね。

でも、ノルマがあるような形で、買え買えって案内されるのはさすがに辛いし、即決で買えって言われて買った後の後悔ってあると思うんですよね。

わたし、以前、パワーストーンを買いたい人に付いて行って、あれこれ選ぶって手伝いをしてた時がありました。

ですが、わたしには分かる良さも、分からない人にはわからないんです。でも、それって仕方ないんですよね。それで、凄くいいなと思うんですが、基本 的に、大体ついていく場合には、もう、相談者には予め心のなかにビジョンがあるんですよ。こういうものだとか、あんなものとか。

あとは、「わたしに(宝石商法で)騙されるんじゃな いかな」って思うこともあるでしょうね。だから、欲しい人が身構えてしまって、結局はお買い物をした際に、いい買い物だったと、わたしは思う時があったとしても、大体 は、その後、ずっとこれでよかったのか悩むというメールを受けて、疲弊したんですね。

だったら、自分で選べばいい。それも、即決で買う買い方じゃなくて、そういう人は、何度も何度も足を運んで目を養うことって大事なんだと思うんですよ。

そもそも、わたし、婚約指輪になっているアクアマリンは、初めて宝石店で買うものではなかったんですが、あまりに品質の悪い石を「値段」や「大きさ」で選んで買 うわたしに、母が怒り狂ったのですよ。それはドブに捨てていると。なので、目を肥やせと言われて、アクアマリンをそれこそ、沢山見に行きました。最後、 いいなと思ったものがありまして、だけれど、当時の婚約者の主人のボーナスは、12月に出るので、それまで、「売れないように」って神様にお願いして、お願 いしながら、よくその店に通って、通い倒しているうちに、あんまり売れないせいか、主人のボーナスが出たその日に、半額になりましてね。

ここだって思って、買ってもらったのが実は、私の宝石道楽の始めなんです。

それは、今も満足していますし、手放すつもりはないほどの素晴らしさ故、あまり人前につけていくことはないです。

また、他に、目を肥やして肥やして買っていくうちに、なんとなくわかった石のエネルギーについて、興味本位で、勉強のつもりで買ったことはありまし た。でも、正直に言えば、金は凄くロスしましたし、そもそもかなり経済力があった中の小遣いの部分で購入しているけれど、現実はお小遣いを全額パワーストーンにつぎ込めないですよ。

パワーストーンを買う前に、わたしは、息子の母であるためのプロトコルであるスーツや、バッグや、真珠や、色々なものを購入しなくてはならなくて、ソッチのほうが忙しかったんですね。なので、出来る範囲は少なめでした。

ローンを組んでまで欲しいと思うモノはほとんどありませんでした。


ただ、漠然ながら、そもそも、元々、欲しいものに対する漠然たるイメージが合ったので、そのイメージに合った時には、遠慮なく即決。だけれど、イ メージに合わないものを買わされることもありましたしね。それでも、それを肥やしにするだけのわたしであったので、比較的、似たような同業者の中から、遅くにスタートして、とっても早く抜けていってしまったのではないかと思うんですよ。

わたしも、心理学を習い始めた頃は、教科書の中身は宝の山でした。ですが、それが、ほんの3年で、教科書は薄っぺらだなと思うようになったんです ね。要は、わたしはそれだけ、色々なことを病の中でありながら、勉強したんです。気功もそうですし、エネルギー関係もそうですね。なので、抜群の速さ で駆け抜けていく中で、ドカ買いってのは、自分ならではできたことだと思うのです。人には怖くてお勧めできません。

前に、わたし、マーキース型のダイヤを即決、ピアスも即決で買いました。他に即決したものもあるんですが、殆どは、イメージして欲しいなあと思って から、大体3年以上は経っています。マーキースは、以前ある人について行った際に、その方がマーキースの形の石を購入されたんですね。いいなぁなんて思い ましてね。それから、ひょんな事でお目にかかった異業種(占い関係の方です)の方が、マーキースのイエローダイヤをされていて、いいなぁなんて思っていま してね。

そもそも、マーキースは、カットしてロスが多いカット法なので、あまり出ないし、出ても値段が高いのですよ。

それで、それが、たまたまクラフトマンの店に入荷した途端ですかね。即決でした。即決に結びつくまでに、3年でした。結構、自分の中で、色々考えていて、意外と無茶な買い方をしているように見えて、意外と、構想何年って話が多いんです。

また、先日、あるダイヤを購入したのですが、それは、5年前ですかね、ある方の着けて来られたダイヤを拝見した時、あまりのショックに固まったんで すよ。なんだろう、これは。こんな凄いクォリティの石を下げておいて、他のどうでもいいような石が欲しいとか言うべきじゃないだろうと。それで、その方は、どうしても何かを買いたかった。何度も何度も、止めても、止めれば止めただけ、当人の中には不満が募る。なにか買いたい。だけれど、当人が選んだのは、いきなり50万。流石に、訪問販売と違い、宝石は中々クーリングオフが効かないので、必死に止めたんですが、それでも、20万の石でお金を使いたいと言う。

結局、「何か」を買いたくて、その買い物をしたかっただけで終わったんですね。というか、そもそも、お持ちのものの凄さに気が付かないのは惜しいこ とだなとは思いましてね。それで、まぁ、羨ましかったんですよ。その方のお持ちのものがね。それで、いつかはそういうものが欲しかったのですが、わたしには、中々機会 がなく、今回、一ヶ月悩み倒して、やっと購入に結びついた石ってのもあるんです。それでも、即決できなかったんですよ。

それでも、その石、わたしにとっては、結構即決価格じゃなかったんです。だから、悩んだんですよ。

それで、売れちゃったら縁がないんだなって思って、何度も見に行って、そして、売れないところを見て、ある日、いきなり、買える環境に整ってしま い、初めて買うって言い出したんですね。それを見て思ったんです。これが着たら、恐らく、自分が今の状態より変わるだろうなと。それで、とっても不思議な んですけれど、わたし的には、凄く嬉しい出会いにもなったんです。

即決したわけではなくて、何度も何度も見に行っただけに、特に思い入れは強いですよね。

それで、思うんですが、無理だなって諦めることって必要なんですよ。

日本ってブランド志向で、無理して背伸びしてブランドを持って、ブランドを持つ自分にふさわしくなろうとする所あるじゃないですか。これは、所謂、 ブランドを売る戦略の一つなんでしょうけれど、日本人の中のブランドって、ブランドを持つ自分を少し上に設定して、それを持つことで、少しずつ上のス テージに自分を引き上げようと思う願いで、購入することが多いと思うんです。ブランド信仰ですね。

ですけれど、時々見ているのは、息子の友人の母親は、競うようにしてハイブランドの新作を持ちたがり、競うようにして、自分の持つブランドの流行作や、新しいブラ ンドが出たら、即買って見せびらかすランチを催す。これは、物こそ違えど、パワーストーンを競うようにして買いたがる人と同じなのではないかなと思うのですよ。バーキンがどれ程あって も、正直、人生はなんにも変わらないです。これは、パワーストーンも宝石も同じです。


問題は、如何にして、この生活に必要ないものを売るのかという事が売り子さんには大事なんですよ。


でも、好きなものは好きですしね。買える人は、毎回バーキンの新作を注文しますし、世の中、日本の中でも桁外れの方々もいるので、そもそも、そういう人は、こういう思考では購入していないんです。何かを持つことで、「あやかる」とか、「ワンランク上になる」という思考では購入していないんです。

 

でも、巷のパワーストーンは、基本的に、持つことで自身がワンランク上を狙えるようにという願いと、「幸せにあやかれますように」という願いでほとんどの方は購入されます。ただ、単に好きなんだってだけじゃ、ないんですね。幸せにあやかる場合には、正直に言えば、当人の思うご利益は、いつも「価格と比例」して いると思います。ほとんどの方は、「高価=効能がある」と思うケースが多いです。見料のお値段が高い霊能者に行ったからって、腕が確実とは言えません。「高い=確実である」という 公式は、spiritualでは、成り立たないのです。

本当に好きで、元々探していたとか、そういうのではない限り、即決で買うことに関しては、わたしは、難しいなと思いますね。

 

「幸せにあやかる」ことは、金では買えないんです。

 

本当に幸せになる事は、金では解決つかないんです。そこを履き違えている人がすごく多く見受けられるんです。本当に幸せになるには、少なくとも、当人の血の滲むような努力が、99.9%は必要です。あとの少しで、奇跡が起きるんです。でも、それだって、いつも報われないからこそ、あなたは悩むんだと 思うんですよ。

 

幸せや、エネルギーは、金では買えないんです。

 

そのことに気が付かない内は、ゆっくり焦らず自分のペースで進んでいくと良いと思います。万人から見て、「幸せは、いつも同じ形をしていません」。

だからこそ、金で解決しようと思った自分の浅ましさをわたしは、やはり恥じるべきものだと思いますし、そういう浅ましい自分が、今、どうやってここ まで到達したのかって、いい道標にはなると思い、軌跡を残しています。本来、ええかっこしいのわたしなので、黒歴史は、全部削除したいところなんですが、 黒歴史から学んでいける部分って、後に続く人には役に立つかなと思い、自分の反省を含めて、残しています。

それで、今でこそなんですが、思えばあの時、ものすごいスピードで駆け抜けて行きました。しかし、見解の相違で、わたしは、ある宝石店から離れるこ とにしましたし、今のクラフトマンと、ゆっくりとデザインを練ったりして遊んでいる方が性に合うと思っています。ついでに言うと、今、わたしは、わたしの 中で、空前絶後のダイヤブームなんです(苦笑)。

まぁ、もう、ある程度、職場にしていけるものは揃えたので、必要ないかなと思うんですが、普段用を探して作っています。ワンランク上とかじゃなくて、これは資産だよなと思いつつね(苦笑)

ですけれど、持ったことでワンランク上を目指すのだとしたら、それは、ご自身で見極め、焦らず探すほうがいいと思います。ふとした拍子で見つけたのなら、それは即決もいいでしょう。

わたしも、欲しかったけれど、機会を失って購入しそこねたものなどがあります。でも、それは、縁がなかったんだって思っています。なので、「幸せに あやかる」というものであれば、余計、一手間二手間かけて、お探しください。あなたをステージアップさせるものは、きっと何処かであなたに巡りあう事だと 思います。

 

 

今回は、パワーストーン、宝石編でした。

続く

 

 

キュービックジルコニアを侮るなかれ。わたしも持っていますが、意外と使い捨てできて、その割に、念とか弾きますよ。今のテクニックの人工モノを侮ってはいけません。

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開運!日本のパワースポット案内
ベストセラーズ
2010-11-16
パワースポットも色で見えるようになると、分かりやすいんじゃない?

こんにちは。

エネルギーとか神とか、そういうもんをどうやって定義したかって事を書こうかなと思いましてね。

基本的には、エネルギーも神も、波長の中で存在するから、色ってのがあります。

まぁ、人の視覚って意外と、あやふやなもので、人の嗅覚って意外とあやふやなもので、どんな感覚にでも、必ず成長したら成長しただけ、先入観が入る。

それが、全く先入観がない子が、部屋の隅を指さして、ワンワン、ここ。ワンワン、ここ。ってやることあるでしょ?いや、うちの次男坊がそういう子な んだけれど、実はね、ワンワンって表現も、先入観。片言の1歳半がどこまで頼りになるかは置いておいて、ワンワンのようなものがいる、つまり、四足でワン ワンに似ているものがいるって表現なんだよね。子供の場合はね。

ただ、反対に、うちの長男坊のように、「うわぁ、軒先から、大きな顔がぶら下がってたぁ」ってなると、これ、どういう先入観なんだか、よく分からな いです。ただ、その後事実関係をよく洗い出してみると、実は、そこで、首をつった人がいた。たまに、そこに出るらしい。それが、どういう条件のもとで出る かはわからないので、首をつった人の家からは、引越ししましたけれどね。

まぁ、彼らの表現聞いていると面白いんですわ。

結婚式のような人が家中歩いていると、長男がいうんですが、どういうことかよく聞いてみると、「マリアベール」というベールをかぶった人が家中を歩 いているとのこと。羽の生えた白いゆったりした服を着ている人が歩いている時もある。腰に、金が見えるので、なんだろうね。ベルトかなって。

 

・・・・・・・・・・・・・・・。お前、それ、花嫁やない。マリアや(涙)。

マリアベールは、そもそも、マリアがそうやって着けるからマリアベールだろう。経験なカトリックなら、ミサの際には、頭からレースかぶってんぞ。そ れより、羽が生えた人はなんでこんなところをウロウロしているんだろうね。探しものがあるのか、おとしものなのか、ただでさえ狭い家が、もっと狭くなる わって言ってやれって思ったんですわ。

さて、んじゃ、神とか、エネルギーってどうやって定義しているのか。また、どうやって呼ぶんでしょうか。

その前に、先入観という知識の前に、人には幾つか種類があって、そもそも、真っ白なキャンバスに、新しいものを描けない人っていうのがいるのね。

そういう、何かを生み出すクリエイティブさと、精神の不安定さというのは、いつでも隣り合わせなんですけれど、クリエイティブに走れば、論理思考はおろそかになるし、論理思考で走れば、知識だけで、なにか新しいものが生み出せない自分となるんですよね。

そこって、すごく微妙なバランスなんですよ。

知識で、なんでも答えられるって分野であれば、活躍できそうでも、クリエイティブで、いつも斬新なイマジネーションを生み出す人とは、明らかに脳の 使い方が違うんですね。発達の仕方も変わってきます。柔軟に考える部分という面があってもいいのではないかと思うんですが、知識武装というのは、恐らく当 人における、何かわからない、正体不明のものに対する恐怖心からくる「理論武装」かなと思うことがあります。

だから、知識だけに偏る人は、中々イマジネーションが難しいですよ。神を呼ぶって言ったって、神がイメージ出来ない。基本はね、既存の先入観の中で、イメージしていくんですよ。

 

酒の神バッカスっていったら、どんなものを思い浮かべるか。そういうことからの連想キーワードで走っていける人と、そもそも、アルコールに酔った感 覚を既に自分の中に知識として持っているのか、それひとつにしても、神なんて、エネルギーなんて、幾らでも解釈が変わるんですよ。波動や波長一つも変わる んですね。

 

それで、万人が見て、万人の様々な価値観の中で、それでも、これは、みんなが見て「酒神バッカスだろう」と思われるものが、現在の正解になるわけでね。まぁ、そんな感じで、神とかエネルギー体の呼び方なんてあるんですよ。

色彩もそうですけれど、実際は、個人個人、若干色彩の認識が違うんですよ。同じ赤でも、全く同じに見えているわけじゃないんですよ。生活様式が違う だけで、様々に見えるんですね。でも、赤を並べておくと、うーん、青ではないから、赤かなって感じで、結局、その波長の長さの光は、赤と認識されているん ですね。オレンジと赤のところは、判別微妙な人結構多いです。

ダイヤモンドでも、DカラーとEカラーは、実は、鑑定者の感覚で決まっています。鑑定者が、Dだって言えば、Dで。Eだって言えばEで。いい加減で すが、そこを測るものがないので、感覚で決まります。基本的に、似たような色彩感覚をもたせるように訓練していくので、似たような判別を覚えるのですが、 訓練しても訓練しても、結果的には、身体的な判別者の特徴によります。


なので、マスターストーンという色見本を用意して、色見本で仕分けていくと間違いが少なくなります。

 

と言うことはですよ。同じ宝石を見ても、同じ石を見ても、万人が同じ価値観を得にくいのは当然なんですね。

 

すべての人が、キラキラ光った色の中に、同じ色が見えるわけじゃないんですよ。

それ程、あやふやな、わたしたちの色彩感覚なんですね。赤といっても、赤も、微妙にワインレッドが好きな人もいるし、微妙にピンクな赤が好きな人も いる。それは、あまりに当然な、わたしたちの持っている目の特徴なんですよ。凄く精密にできてそうに見えてて、実は、色彩一つさえも、同じじゃないんです ね。

 

神ってのはまぁ、置いておくとしてですよ、エネルギーってのは、基本的には、先入観バリバリの中で、万人が見てそうだと思えるものに出来れば、それ で出来上がりなんですよ。まぁ、畑違いの話を持ちだして恐縮ですが、ゴッホを見て、ひまわりだなと分かる人はいいですよ。絵画を見て、

「何いってんだかよくわかんない(苦笑)」ってアートは沢山ありますでしょ。

基本的に、エネルギーもまた、アートなんですよ。

ただ、波長や波動ってのは、基本的に、ウェーブがあるので、ウェーブがどの位の長さかということで、色彩感覚として万人がそれを見て、幾つなら赤だ と思うんですよ。だから、逆に、神を呼ぼう呼ぼうとか一生懸命思う前に、色彩を作り出すこと、空間にその色を作り出せることって凄いことになるんですね。 万人が、青を見てクールだと思う。ついでに、ひんやりすれば、もっとクール。

こうして、どの人にも認定してもらえるものがあれば、それでいいんですよ。それが、始まりじゃないですか。

神の前に、色で始めても何ら問題はないですよ。色の次に、別途として、勢いや、エネルギッシュや、憤怒や、浄化や、色々なものをオプションとしてつけていけばいいんです。なんら、真っ白いキャンバスに描けない人は、先入観を利用するのは手なんですよ。

ただ、それで、偉そうぶる人ってのは、結局はその傲慢さが、エネルギーの質にも出るんです。傲慢さは、常に、誰かへの妬みや、誰かに負けたくないと いうプライドの高さからくることもあるので、そういうのが、質に出たエネルギーで癒されるとは思えないんですね。まぁ、傲慢な人は、傲慢系の神々をイメー ジしていけば、地のまんまでイケますよ(苦笑)。無理して自分を変えようとして、神をイメージするのなら止めませんが、傲慢系は、傲慢でいいんですよ。無 理する必要ないです。そもそも、無理しようとは思ってらっしゃらないと思われますんでね。

色ごと好きな人は、絶倫ゼウスとか(失笑)。潔癖症は、ディアナとか。神様も多種多様ですから、古今東西探していけば、今の自分が背伸びしなくてもマッチする人が必ずいます。まぁ、そういう風に作ってあるのが、神話なので、大丈夫です。

癒すってのは、また別ですよ。癒して「あげる」とかだったら、もう、そいつにしてもらわんでもええですわ。

 

そんなんで、首吊りで死んだ人の残像が見えるのは、これもまた、波動なのかというと、そうなんですね。その人の悔しさが残るってことより、見た人の ショックもありますし、何度もそこで思い出せば、定着もするでしょうしね。ある程度暗くて、ジメジメしてたら、人って必ず、そこに、マドモアゼル・貞子を 探したがりますしね。

ところで、わたし、最近、ホント半年かけて、修行しました。職場で仕事上、デキルようになったんですが、ばっさり、念をカット。相手の執着まで、斬り捨て御免(笑)。

 

なんとなく、こういうのって、やっぱ、妄想たくましく家に引っ込んで、あれこれ考えるより、実地でやって、経験積むほうが早いですよ。

 

ちなみに、わたしは、職種の都合で伸びた部分がありました。

 

あと、家の中をうろつく人に関してですが、あれは、うろつけと言っているわけではなく、なんで、よりによって、家の中なんですかね(涙)。よそんち イケばいいのに。もう、「マリアの突撃・隣の晩御飯!」ってやったら、面白いと思うんですがね。結構特定の人の家に出るんですよ。あの人って、意味不明で すわ。一番理解できない人の最先端を走ってらっしゃる。

 

しかし、この場合も、マリアさんというより、マリアさんと言うイメージに周りが先入観で見えるんですよね。本当に、警告して歩くのは、マリアさんで も、別の影武者だったりして、そこんところまでは、詳しく見ている暇がないんで恐縮ですが。大体、青い服、白い服、ワインレッド。

 

たまに、妖怪のようなカッコした、マリアさんって出てこないんですか。

 

聞いた限りでは、マリア観音止まりですわ。だから、やっぱ先入観なんですよね。

 

さて、そんな感じで、また、続きは今度。

 

 


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こんにちは。


わたし、常々言うんですが、「今、牛肉食べたから霊能力が衰える」とか言う奴、嫌いなんですよ。んな、今の目の前のステーキひとつで、衰えるような霊能力、はなから、話にならねーだろと思っています。一生懸命、ベジタリアンしてくるのも、涙ぐましくて、微笑ましいんですが、健全な社会生活を踏み外してまで、そこまで、霊能力で飯を食いたいかと尋ねてみたいです。

全てのエネルギーは循環するのに、「知識」の循環を止める奴も嫌いなら、食わない奴も好きじゃない。必要とする分は食べたほうがいいんです。餓えて霊能力がある とすれば、そりゃ、車の運転もおぼつかない判断力以下でしょ。食べて元気に動くもんですよ。必要以上食べている人は、過食は、ストレスをのどに無理やり押し込んで、性的快楽を追及しているだけだから、吐くのも含めて、自慰行為だと思ったほうがいいでしょう。

基本的に、沈んだ太陽ではありませんが、日本は不思議な捉え方をする国です。「莫大なインセンティブ」の為に、「リスクを取ろう」とする国が、星条旗の国なら、日本は、どうも「その莫大なインセンティブ」に値するものを「徳」で納得しろって言うんですよ。

不思議ですよね。徳ですよ。徳じゃ、日々食えないですよ。極度なリスクも取れないです。でも、こういう分野で単なるキワモノ扱いだと言うのに、あえて「キワモノリスク」を取りに行く人は、本に出たりメディアに出たり します。引き換えに、お金が多くなります。それを、叩くんですよ。出ない奴には、出た奴のリスクなんかわかりませんしね、出た奴の、ボロクソなまでの叩かれ 方見て、ドンびくでしょう。

で、言うんですよ。徳を積めって。

いやいや、霊能力は、お茶の間のエンターテイナーですわ。

まぁ、物質界が悪いとかいいとかじゃなくてね、物質もなきゃだめだし、精神性もなきゃだめなんですよ。時間だって人に割くには、自分の何かをやめなきゃい けないわけですよ。
倫理に触れること、法に抵触すること、自分が覚悟ができなくて、ビビりの相談に行く人や、愚痴をこぼしに行く人は、無償でお願いしますと言って、「徳」という見えないもので、対価を払っているつもりでしょうけれど、それでは、相談相手は、飯 も食えないですって。何にも続かないですよ。清貧で生き延びられないんですよ。

わたしは、ここでブログとして書いていますけれどね、色々事情も過去もありました。だからと言って、それを「徳」と呼ばれてしまうと、まぁ何とも言えないですよ。好きなことだけ、書いてるだけで、不思議な生活の中で、何があるんだろうと思うから、やって続けられる訳なんです。
だから、出版は、こんなリスクは取れないですよ。昔、真実を語って、叩かれる恐ろしさって、身をもって知っているんでね。

さて、世の中、随分、何も知らない人が、大きな声で、「この霊は」とか言ってるの見てると、身がすくみますよ。わたしでも、「マッドな好奇心」とまで呼ばれて、色々知識はありますけれどね、知らないって怖いもんですよ。確証に繋がらないと、絶対言えない言葉です。あえて、言うなら、リンゴは下に落ちる。その理由位確証が持てないと難しいですね。

まぁ、ひとつだけ例をあげると、日本って、魏志倭人伝によって倭の国王がいたって話しになってますよね。あれ、「魏志倭人伝って本は実在しない」んですよ。
東夷伝という本の一部に、倭の事が書いてあったんです。倭って国も倭王ってのがいたから、いい加減に、倭人とか呼んでね。高句麗人、新羅人、まぁ、ミソクソな交流で、元々、純粋な国じゃないんですよ。

それを、天智さんの時代に、国粋主義にさせるには、歴史伝が必要で、そこに神だの何だのを盛り込ませたのが、始まりなんですよ。精霊たちとはちょっと違う んですよ。で、国粋主義にするには、一国一民族とするのは、どの国でも決まりごとのようなもんでね。他の国でも随分あるかと思います。まぁ中国はどうやっ て中国かと認識したかといえば、ついこの間まで、漢字だけで取引をしていた国で、漢字を持つ種族=中国という認識があったようですよ、

まぁ、そんなもんでね、実際に古事記でも、実編纂の年と、歴史上の編纂の年は違うんですね。必要ですよ、国民を一丸とさせるには、そういう事書く必要がある。だけれど、それにて、一丸となって信じてきたのは、今までの歴史なんですよ。

ここまで、お前の開発した技術は、「徳」にて企業に寄付(搾取され)し、企業はそれで金を儲け、皆に分けるのは少なめにね、てへぺろってなったのが、歴史になってきたのは事実でしょ。

個々を重んじるようになったのはつい最近ですよ。

でも、あんまり、「徳」「徳」言わないでほしいんですよね。徳積むのも必要ですよ。ですけれどね、その人の「徳」につけ込むビジネス展開が、今の経済社会なんですから。 凍ったって、仕方ないでしょ。やり方が悪ければ、一から、経済の発展の為に、目先の利益を追うなって事ですよ。そっちの方が「徳」でしょ。

まぁ、そんなんで、最近、アセンションビジネスがなんか、盛り下がっていたり、アセンションビジネスに食いつく人のレベルを見ていると、クズの集まりだなと思うことがあります。コツコツ努力もせず、一発勝負で、逆転劇ですか。そういう風に考えるからこそ、余計に金がなくなり、信用も失うんですよ。
ほんと、2000年過ぎた後の、あの妙な空虚感、結局空から何も降ってこなかっ た、あの空虚感があるの、盛り上がっただけに嫌だったでしょ。

健全に生きましょうよ。健全に。出典も、歴史も、日本目線の東洋史ばかりではなく、世界史、 色々な本を読みましょうよ。知るって大事ですよ。

まぁ、日本の世の中強引に回そうとすると、回さない方が利益がある人たちがこぞって反対をしますけれど、あれも、人や企業を蝕ませた存在の既存利益を渡したくないんですよ。

わたしも、昔から社会インフラ、企業インフラで仕事をしてきましたが、透明になっては困る事情の人って結構いるんです。でも、その人たちが、どう、職場で仕事もせずに一日を過ごしてきたのか、コストカットしたり、予算を増やしたりしないと、成長しないんですよ。

まぁ、あなたが、花に水をやる時、「徳」をつんだと言いますか?雑草や間引きを抜いた時、どう思いましたか?




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こんにちは。


普通外見から分からないモノを、見るのに何が得意分野ですか?という話をたまに貰う。

まぁ、見ることはしちゃいけないけれど、ブロックしていても見えるのは、生と死。特に、女性の子宮は、我ながらに情けないことながら、「生理中」かどうかを見るのに長けていた時期があった。

生理中かどうかを見るのに長けた理由は、相手がトイレに頻回に行きたくなった際に、なるべく阻害しない店を選ぼうと言う、「余計なお世話(笑)」か らである。およそ、100%当たるので、嫌な顔もされる。しかし、神様はご清浄なモノが好きで、生理の血は嫌いだと言う説もあるが、古代より、死は生を 持って清められてきたと考えるので、そんなこともないだろうと思う。

未だ、女性の子宮から湧き出でてくる、「生」を見るのは得意だけれど、残念ながら、授かる予定なのに、授からないケースも多々ある。

理由は、その家族に何か大きな不幸があった時、大体は、その小さな命が、文字通り体を張って食い止めるからである。だから、流産して悲しみに暮れて いる人の中で、流産して実はよかったと思えることもある。ただ、余りに悲しくて心を閉ざす前に、何度か、流産癖を防止してでも、命を授かると、母体のメン タルは、保たれる。他に子供がいる時は、その子供を大事にしてあげることが必要なんだろうと思う。

ってところで、死も割とよく見える。

死ぬ人の後ろは暗く、未来が見えない。

基本的に、死んだ顔が見える時は、当人にそれとなく、「食べ物に気を付けて節制しろ。」とか、「酒を飲むな」とか、「高いところに上るな」とか、暗 示を込めた言葉を言う事がある。食べ物系は、それこそ、食べ過ぎで亡くなることもあれば、中ることもある。死の原因の顔を見ていると、高いところから飛び 降りそうだとか、遠いところで、野垂れ死にするんだなとか、そんなことが、大体はぼんやり分かる。

普通の霊能者は、こんなことを言わないし、伝えてはならないと言う。

わたしも、幼い頃から父の早世を気にしていたので、死ということばではない言葉で、相手に伝える術を考えていたのだろうと思う。死というと、大体の 人は、それが発言力のある人であればある程、暗示がかかって、そっちへ歯止めが効かなくなるものであり、死ななくてもいい人が亡くなるケースもある。だけ れど、食事の塩分で亡くなるとか、脱水とか、そんなところは、大体オブラートに包んで、相手に伝えればいいと考えている。

ただ、これで、昔は、死ぬ予定の人を死なせなかったので、返りの矢というものがきて、代償を払わされることになったことがあった。

けれど、最近はそうでもない。死ぬ予定の人は、「食べ物に気を付けろ」と言っても、やっぱり過食するし、「脱水に気を付けろ」と言っても、サウナで 倒れたりするようだから、そこからは、わたしの管轄する範疇じゃない。自分が生きるために、そのアドバイスをどう使うかが問題であって、死ぬ予定でいいん ですって言うのなら、止める権利もないからね。

これから飛び込む人の場合は、最後は、「解き放たれた感満載」の笑みでいることも多い。

その表情は、ある意味、ホラーである。脳裏に残るイメージでもある。しかし、当人が望むのなら、自殺も仕方ないんじゃないかと、最近は電車に乗る 時、そう思うようになってきた。これだけ、天候が悪いと飛び込み、気圧の変化で飛び込み、仕事の関係で飛び込み、妄想を背負って飛び込み、そこまでされる と、これもひとつの時代の流れかと思うことも多くなってきた。

当人は、当人だけ幸せでいればいいんだと思っているんだから、仕方ない。

ただ、病死に関しては、わたしも見ることができるけれど、ここは、自分もその境目なのか、「感情が入って良く見えない」ところである。

ある程度、ヤバいケースは見えるけれど、ヤバくないと見逃してしまうこともある。後、わたしが、自分が生き死にの繰り返しばかりなので、自分はこれ 位「生き延びて当たり前でしょう」の部分で、見逃すこともある。死が近くなると、人は勘が良くなる。自分の身の回りを整理したり、色々と始めるもんだ。

うちの父も、あれは不思議だなと生前は話していたけれど、彼は死に至る昏睡状態に陥る前の日、周囲に「ありがとう」を言ってお礼を述べていたと言う から、驚きである。恐らく、わたしも、その程度の勘があるが、「ありがとう」とお礼を述べる前に、わたしはどうしても、精神年齢が、ある時代に還ってしま うようで、周囲のことが分からなくなったりすることがある。もう、亡くなった人に会いに行くと言って家を出ようとして、鏡に映った自分が、BBAだったの を見て、愕然とした経験がある。

ただ、まだここにいるってことは、当分は死なないってことで、死なない程度に、ガチガチと噛まれるような生活を続けて行くのだろうと思う。

 

それで、こんな重いことばかりが見える人に、伝えたいことがある。

人の生き死には、人が決める権利がある。死の選択も、生の選択も。生の選択は、バースコントロールというけれど、わたしは、中絶した女性の子宮を見 たことがあるけれど、分かるのは、術後が悪くて、二度と子供は授からないだろうとか、まだ産める程度の事であり、子宮に取り憑くと言う「中絶した子供の赤 子霊」は見たことがない。

あれは、弱った心につけ込むビジネスだと思っている。でも、新しい生を授かれなくなったら、流石に心も折れて、風車のひとつも、失くした子に買ってやりたいと思うことがあるだろう。それが人情で、年相応の落ち着きである。

それで、そんなことが見えても、最後の結果の責任は、「あなたにはない」んだと、わたしは言いたい。

あなたは、オブラートに包んで、このことはしない方がいいと伝えても、あーだこーだ、うっとおしく伝えても、結果は相手が選ぶのである。それは、自ら決めた運命というモノであり、その人がそれで後悔がないのなら、それでいいんだよ。あなたが、負う責任はない。

でも、どうしても生きててほしい気持ちは誰にでもあるけれど、大事な人ほど、早いものだ。

往生際の悪い婆さんも、さっさとやりたいことをやって亡くなる婆さんも、魂の重さに関しちゃ、皆等しい。

大切な時間程、移ろいやすく、大切に思えば思う程、失うショックは大きくなる。でも、それが、生と死の普通のことだから、あなたは、そんなに悩む必要はないんだよ。死は、生を持って清められ、贖われる。だから、生まれる人がいるのも、亡くなる人がいるのも、

Good times & Bad Times なのさ。

 



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こんばんは。

わたしの母と父は、博物館が好きで、絵画鑑賞が好きで、彫刻とかも見に行く人だった。日本のどこにでも、わたしと兄を引っ張って、見に行った。特に、上野は聖地のようなもので、何かあったら、直ぐ上野。

正月前は、それに御徒町アメ横巡り。

父は、娘の手を引き、マグロを値切って楽しそうだった。わたしは、人ごみでゲロゲロして、お漏らししても、替えのパンツがあるからいいさ、の勢いで、練り歩いた。

わたしは、帰りには疲れて歩けなくなり、宇宙語を話し出しよく熱を出したので、父は、わたしを背中にオンブして、帰ってくれた。

帰って来て、お風呂屋さんに行く時は、寝ているわたしをオンブして、家族4人で、桶を持って、隣町まで出かけ、お風呂についたら、起こしてくれて、母と温まったら、また、父が担いで、家まで連れて帰ってくれた。

わたしは、そんな父親が好きで、背中が暖かかった。

分からない印象画を見るより、日展とか、油絵ばかりだっだ記憶もあるけれど、上野は、よく展示会をしてたので、出かけて、それが幼い頃の娯楽だった。

親は、決して子供用の商業施設に、連れてってくれることはなくて、動物園より、絵画鑑賞が多かった。近所の図書館で本を借りに行く週末も、父の後ろに乗って、自転車で行った。

眠ったようなわたしを、父がオンブしてた時、母はこう言った。

「この子は、パパの一生モノ」

父は、お嫁に行って欲しくないなぁって、言ったら、寝てたはずのわたしは、父に抱きついて、「パパのそばにずっといるよ。わたしから離れちゃダメだよ、パパ」そう言われた父は、嬉しそうな顔で泣いていたという。

 

時代は代わり、わたしは、母親になった。親の都合で振り回した事はなく、次男は、自分のやりたい事をやって疲れて、夜眠そうになりながら、「夕ご飯」屋で、舟を漕ぎながら、ご飯の後のパフェを食べている。

帰り道は、車で、次男は眠ったようで、あとは、駐車場から家まで歩くだけ。

舟を漕いでる次男を、主人がそっとオブったら、次男は幸せそうにとろけそうな顔をして背中にしがみ付いて、寝入った。そうか、今度は、わたしが言う番なのね。

「この子は、パパの一生モノ」

主人は、横に歩く長男の笑顔と背中の次男のぬくもりを感じて、愛おしそうなとろけそうな顔をして、泣きそうな笑い顔をした。

 

子どものわたしには見えなかった父の表情が、今やっと見れた気がする。

 

 

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